『大帝ピョートル』

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読書日記

2011年06月17日

『大帝ピョートル』 アンリ・トロワイヤ著 中央文庫 1190円+税

近々のロシア旅行に備えてロシアの歴史物を読んでいる。
これも以前に読んだものをもう一度読み返している。かなりうろ覚えだったが、新たに活劇を観ているように楽しめた。

ピョートル大帝は、サンクト・ペテルブルグを田舎の沼地のような辺鄙な土地だったものを、どうしてもヨーロッパの風を取り入れたく、また舟や海が大好きだったため、フィンランド湾に面した絶好の地とみて開拓し、ヨーロッパ的街を作り上げた。
そして、モスクワから遷都した。

フランスはルイ14世の時代。そして娘をルイ15世に嫁がせようと考えていたが他国の公女に先を越される。この娘は後に女帝エリザヴェータとなり後のエカテリーナ2世を甥で後継者と仕立てていたピョートル3世の嫁に迎え入れる。

まだ鷲づかみで食事をしていた野蛮なロシアをどうにかヨーロッパ的に改革する。
ロシア正教の教えで男子は皆長い髭をたくわえていたがこれを廃止。
衣服も長い大仰なだぶだぶの服の重ね着を廃止。これらに反する者には税を課した。
暦も改革。1700年はロシア歴では7208年なのだか、1700年の1月1日からヨーロッパと同じ暦とした。
戸籍調査も実施。

それまでロシア人特に貴族の海外渡航は固く禁じられていたが、率先して海外へ視察に出かける。
海外での近代技術に関心を寄せ、取り入れる。
もともと大工仕事というか労働が好きで、渡航先でも一兵卒と装い偽名で船大工など弟子になる。
オランダでは人体解剖に興味を持ち、以降解剖用機器一式を常に携えていた。
自国で罪人を処刑するとき、自分も首切り役人になったりして、切り落とした頭を掲げ頸動脈その他の解説までしたという。
抜歯に興味をもち、取り巻き連を実験台にした。

などなど、野蛮で放蕩の限りを尽くし大酒飲みで、国内からもヨーロッパ中からも恐れられていた2mもの巨人は、53歳で病で逝く。
後継者の遺言を遺さないまま。

ピョートル大帝の父帝の時代にコザックのステンカ・ラージンの反乱があった。
大国の殆どは農奴であり、兵士であった。
ピョートル大帝の死後女帝エカテリーナ1世となった妻エカテリーナは遠征先で見初められた雑役婦だ。
貴族の大方もツアーリに抜擢された成り上がり者。
国家の政治などは無に等しかった。
一般農奴や兵士と貴族など特権階級との差は測ることの出来ない大きな開き・溝があった。
20世紀初頭このロマノフ王朝が共産革命に倒れるのは歴史の必然であろう。

(そして、イングリッド・バーグマン演ずるところの「アナスタシア」の伝説も生まれる) 

 

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