『プリンシプルのない日本』

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読書日記

2013年09月25日

本棚に数年眠っていた。読みかけて、途中で細君の白洲正子さんの方を読み出して、そのままになっていたらしい。
読んで痛快。べらんめえ調がいい。
読んでいて、こちらまで現在のいろいろについて腹が立ってきて、歳のせいか、近頃なりを潜めていた批判精神がむくむくと起き始めて元気が湧いてきた。

『プリンシプルのない日本』 白洲次郎 新潮文庫 476円+税 

白洲次郎は、言わずと知れたジェントルマン。実業家の次男。育ちのいい野蛮人という友人もいる。人の面倒見が頗るいい。
神戸一中から英国ケンブリッジ大学に学ぶ。英国生活は1919年から10年間。英国で、ベントレーやブガッティーを乗り回す一方、社会のプリンシプル(原理原則とでもいおうか)を肌身で学ぶ。
日英で知己が幅広い。
政治嫌いだが、英国時代に知った吉田茂に請われて、敗戦の現場で後始末に奔走そうする。
文学に関心はないが、神戸一中時代の友人今日出海や河上徹太郎、小林秀雄らの交友関係は戦後も続く。

日米開戦前から日本は戦争を起こす、そして負けると言明し、早めに鶴川に移り住み百姓を始める。現在の「武相荘」である。都会の家は焼かれ、食糧難を予想して。
そういえば、前に読んだ『われ思う』の西村伊作も"日本が負けるといいと思った。負けたら痛快だった"といっている。
吉田茂に請われて、敗戦後の進駐軍、特に米軍との激しい渡り合い交渉し、日本国憲法制定に立ち会いサンフランシスコ講和条約締結全権団に加わる
理不尽な日本国憲法制定、米軍駐屯、東京裁判などに歯軋りを噛む。正統な弁明をしない日本にも。

日本国憲法のお粗末な制定など、何事につけプリンシプルのない日本、つまりその場しのぎで自分の主義を明確にしない日本人に苛立つ。
「会議なんかでも、意見を聞かせてくれといっても絶対に言わない。そうして二三日すると誰其さんはあなたの意見に反対してこう言っている、なんてことが巡り巡って僕の耳に入ってくる。…こんなの忙しいのに二三日の時間の無駄だよ。…痛烈なことをいうと恨むんだね。人の前で恥をかかしたって。面子面子っていうけれど、8月15日以降、日本人には面子なんてあるかっていうんだ」(1950年「文藝春秋」8月号)

 

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