能鑑賞

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スローライフ日誌

2017年03月13日

昨日は、久々の三題の能鑑賞。金春会定期能。能は心鎮まり、素晴らしい日本伝統の美学である。心豊かになる。
お誘い下さる方のおかげである。

「放下僧」
これは演じられる機会の少ないものらしい。初めて観た。
父の仇討ちの話。「放下」とは大道芸人のこと。兄弟で放下や僧の姿をした放下(放下僧)に身をやつして敵を狙っている。瀬戸の三島神社に参詣に向かう道中で捕まえる。敵と禅問答や曲舞、鞨鼓の舞など芸を見せて、芸に見とれて油断した敵に斬りつけ本望を遂げる。

狂言「鬼瓦」
ユーモラスな小話。訴訟で長らく京に滞在していたが、お礼参りに訪れた堂の鬼瓦が、どうやら留守宅の女の顔にそっくりで懐かしく、早く家に帰ろうとする話。

「角田川」 
普通は隅田川というが、金春流では角田川という。
よく知られた能だ。だが私は初めての鑑賞。
角田川の渡し場で船頭が客を待っている。一人の商人が乗ってくる。そして女物狂も乗ってくる。
その女物狂は人を探して京から来たと優し気に話す。業平の東下り、都鳥の歌の話なども加わる。
舟を漕いでいくと、向こう岸で大勢の供養念仏が見える。その意を船頭が話して聞かせる。人商人の連れてきた子がここで疲れ果て死んだ。昨年の3月15日のことだ、今日はその3月15日だから近所の人々が弔っているのだと。
姓名を聞いた女物狂はそれこそ我が思い子だと泣き伏し、船頭は舟からおろしてやる。
今はただ塚となった我が思い子に念仏を唱えていると、子供の声で念仏を唱えるのが聞こえる。そして、子方が塚から出てきて抱きしめようとするがすれ違うばかり。
今回の演出では、子方が塚から出てきて霊として演じるが、子方の出演しない演出もある。
とても悲しい演技で、周りの殿方たちも密かに涙を拭っていた。井上さんというシテ役が見事だった。多分しゃくみという面だけで静かにあれだけの悲哀心情を表せるとは。

「葵上」
光源氏の正妻葵上に襲い掛かる六条御息所の生霊が、泥眼の面(シテ)と後シテでは鬼女となって般若の面で怨念をはらす。
葵上は正面に小袖を伏して表すのみ。これも女物狂もの。よく知られている能だ。

 

久々に能をたんのうした、その余韻のまま、その後は赤坂で会食。定例になったご馳走を頂く会。アラブの王様が一族郎党千人以上を引き連れて来京していると聞く割には、日曜の赤坂は静まり返っていた、な。

 

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