江ノ島・鎌倉の旅

<日本の旅>

2018年7月18日 日帰りバスツアー

J.COMの招待旅行

猛暑、酷暑の最中だったが、無料とあって参加。そんな人たちが44名集まった。

JR千葉駅前 6:30 出発。

お付き合いで、横浜にある毛皮工場による。
市場の半値とは言え、何十万円もするムートンのシーツやミンクのコートなどなど、暑いさ中であることからも、買う人は一人もいなかった。
ただ、ムートンは夏場に最適とは初めて知った。吸湿性がよく熱放射もいいと。夏だからとムートンの椅子カバーなどしまってしまったが、では出さなければね。


そして、11時、横浜中華街で昼食。

関帝廟を右折

市場通り門を左折して

福満園別館で昼食。

帰り路で大収穫。横浜中華街は乾物屋も多いはずと思いつき、予てより欲しかった白木耳をゲット。そして、悟空茶荘という店で正山小種(ラプサンスーチョン)をゲット。
ラプサンスーチョンとは最高級の紅茶。昔英国で紅茶が貴族の間で飲まれるようになった頃の茶。当時は中国しか茶は採れなかった。その後、政府御用達の東インド会社がインドのセイロンやアッサムなどなどで植え広め、大量に一般にも普及するようになった。今でも、高級ホテル特に英国の老舗ホテルなどで紅茶を所望すると、「うちには中国茶もありますよ」と、気取って言われたりする。

猛暑で、添乗員さん曰く、「こんなに暑いのは初めてです。もしかして、40℃は越えてますね。会社からラインが入って熱中症で救急搬送した人が出ていると。このバスも、赤い顔をしてぐったりしている人は嫌だと言っても救急車呼びますからね」と。

 

鎌倉

鶴岡八幡宮(鎌倉八幡宮)

本宮近くの駐車場にバスを駐車。
熱暑の中、それでも頑張って境内だけにする。

丸山稲荷社
本宮の左側にある。

 

鎌倉八幡宮

鎌倉武士の守護神源頼朝により現在の地に移る。

鎌倉幕府というが、当時は幕府という行政の府が施設として存在していたわけではない。幕府という考えそのものがなかった。明治に入ってそういう体制の名称を考えたとされる。
頼朝は鎌倉殿と称して大倉御所という居所で仕事をしていた。天皇から託されて初めて政(まつりごと)をすることになり、当時は名目のみとなっていた征夷大将軍を授かった。
大倉御所は現在の二階堂・西御門・雪ノ下3丁目一帯にあった。


この八の字が鳩のように見える。ので、鳩サブレ?!


入口は、仁王様ではなくて武者が守っている。


宝物殿に入る。中は写真はダメ。
外で本宮の側面を撮る。

 

大銀杏
大石段の下にあったが台風の大風で倒れてしまった。樹齢800年とも1000年とも言われた。
その倒れた切り株が「親」銀杏、それから育った新しい木が「子」銀杏として息づいている。


親銀杏


子銀杏

大銀杏には悲しい言い伝えがある。三代将軍実朝がこの銀杏の木陰に隠れていた甥の公暁に暗殺されたという。
これにより源氏将軍は三代で途絶えた。
北条氏は平氏との説もある。

歌人でも名高かった実朝の歌
 世の中は つねにもがもな なぎさこぐ あまの小舟の綱手かなしも
 山はさけ 海はあせなん 世なりとも 君に二心わがあられやも
 大海の 磯もとどろに 寄する波 われて砕けて裂けて散るかも


銀杏の若木と大石段、八幡宮。

若宮


外装工事中か。


若宮の脇の大木


舞殿(下拝殿)

始めはは白木造りだった。
前の建物もなかった。

白拍子だった静御前がここで囚われて舞を舞ったといわれているが、当時はまだなく、舞ったとすれば若宮でだったろう。

静御前の歌
 吉野山 峰の白雪 踏み分けて 入りにしひとの 跡ぞ恋しき
 しづやしづ しづのおだまき くりかえし 昔を今に なすよしもがな

 

手水舎

 

源平池

三の鳥居をくぐると、大きな池がある。源平池である。
参道右側(東側)が源氏池。左側(西側)平家池
かつては、源氏池には赤い花の蓮が、平家池には白い花の蓮が植えられていたというが、現在は混ざっている。でも確かに平家池には白い花の蓮が多い。

紅白の謂れは、源平合戦の時、時の王者平氏に新参者の田舎武者源氏が立ち向い、平家は赤旗、源氏は白旗を掲げていた。その伝で、今日対抗競技などで紅白に分かれたりする。


平家池。 平家池には4つの島があり、平家の「死」を願ったという。

源平池にかかる石造りの太鼓橋。現在は通行止め。左右の橋を通る。

源氏池。
源氏池にある旗上弁財天社に向かう橋。
源氏池には3つの島を造り、源氏の繁栄を願う「産」と掛けたとか。

 

参道から見た舞殿と後ろに高く控える本宮

三の鳥居

暑くて暑くて、三の鳥居を入り、来た参道をまた参って、八幡宮お参りをお仕舞とした。

鎌倉というと、哀し気な気分に思いがいたる。子供の頃歌った唱歌「鎌倉」のためか。短調で。

唱歌「鎌倉
 七里ガ浜のいそづたい 稲村ケ崎名将の 剣投ぜし古戦場
 上るや石のきざはしの 左に高き大銀杏 問わばや遠き世世の跡
 若宮堂の舞の袖 静のおだまき繰り返し かえせし人をしのびつつ
 鎌倉宮に詣でては 尽きせぬ親王(みこ)のみうらみに 悲憤の涙わきぬべし

 

さあ、あとひと踏ん張り。

江ノ島に向かう。
途中、キムタクの家や高島忠夫の家を通って、切通しを抜けて、湘南の海にでる。
みのもんたの家へは自前の信号機つきトンネルがある。凄いことをするな。タレントの所得はべらぼうらしいからね。

 

江ノ島

日焼けした水着姿や短パン草履履きの若者で海辺は賑わっている。私らも海で涼みたいよー。

青銅の鳥居

江ノ島の入口、青銅の鳥居をくぐって、弁財天仲見世通りを行く。
鳥居に掲げられている額には「江島大明神」とある。

朱の鳥居


瑞心門

瑞心門をくぐって先にある像。

瑞心門から見た片瀬海岸。その先に日蓮ゆかりの龍口寺(りゅうこうじ)がある。

階段を上ると、江島神社(辺津宮へつのみや)
茅の輪がある。


奉安殿
裸弁財天(妙音弁財天)・八ぴ弁財天


以上、何とか予定をクリアした。
無理せず、ゆっくりと木陰を選んで、歩を進めた気分だ。

 

帰りは、アクアラインを通って木更津に抜ける。
気のせいか、東京湾を越えただけで、風土が全く異なることを感じた。

無事、予定の6:30、千葉駅前に帰着

 

お世話になった皆さんに感謝します。

[完]

[海外旅行記]

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