悦子の談話室

8月6日

     
 

67年前の8月6日、広島に原爆が投下された。
広島はこの世の地獄と化したであろう。
ずっと以前に広島に行った折、資料館で息をのみ鳥肌がたち信じられない思いがした。資料館を出て行く人々、日本人外国人修学旅行の生徒達みな、下を向いて無口であったのを今でも覚えている。
都城の予科練にいた長兄は、後10日も戦争がのびたら飛んでいたであろうといわれるが、終戦で何も知らされていないまま、帰るためのぎゅう詰め満員列車で広島を通った、夜だったので真っ暗だった、と後で家人に話したという。

今日、辛さ悲しさを抱えつつも、何とか復興成長している。
人間の力はもの凄い。
松井広島市長の、被爆者達の被爆体験談を引用し、身内を全く亡くし、ただれた焼け野原から、生き抜いてきた人々の、"希望のある明日に向かって生きよう"との旨の言葉が当たり前だがこころに響いた。

情報のないまま、立て続けに今度は8月9日、長崎に原爆が投下された。

昨年の3月11日の、1000年に一度という地震津波による原子力発電所の未曾有の大事故被害に言及される。
核と人間の共存について慎重に考えてゆかなければならない。

(12.08.06)

 
     

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