悦子の談話室

ごまめの歯軋り

     
 

先般元職場のあるOB会で頂いた文である。
是非多くの方々に読んで頂きたく、ご本人の承諾を得て掲載する。

 

「ごまめの歯軋り」

                  3・11から一年経って  川上巍

○千年に一度の大災害
・短い人の一生の間に、“千年に一度”の巨大地震・津波に遭遇するとは、正直
夢にも思わなかった。
被災地東北の破壊し尽くされた光景や着の身着のままで避難所に集まって来る
人達の姿をテレビで見て、敗戦で北京から難民のように引揚げて来た子供の頃
の自分の姿が二重写しになり、思わず目頭が熱くなった。
しかも、福島第一原子力での全電源喪失・水素爆発と想像だにしなかった事態
が続き、自ら信じ人にも語って来た原子力安全の確信が一瞬に吹き飛んでしま
ったことに、驚きを超えて夢でも見ているのではないかと暫く言葉を失った。
何らかの形で戦争を経験した世代には、今回の東日本大震災を「第二の敗戦」
と捉える人がいる。被災地の破壊された光景が第二次世界大戦で敗れた時の
荒廃した国土を思い起こさせるだけでなく、大切な人や財産を失った喪失感、
さらには先行きに対する不安と云ったことにも、どこか敗戦時の人々の記憶と
重なるものがあるからだろう。
私にとっても今回の大災害は、敗戦時の記憶を呼び覚ます出来ごとになった。

 ・それにしても、この国難とでも云うべき大混乱の中で、菅首相の慌てふためい
た“陣頭指揮”には正直失望した。
殊に、原発が最悪の状況下にある東電の本社や福島のサイトに自ら乗り込み、
頑張れと云うのではなく罵声を浴びせたとの報道には、本来国民が一丸となっ
て対処すべき時だっただけに情けないと云うより呆れてしまった。これは国を
統率する最高権力者がとるべき言動とはとても思えない。東電OBの私として
は、原発事故で世間にご迷惑をかけ申し訳ないと云う気持ちとは別に、福島
第一でそれこそ必死の思いで原発事故と戦っている人達の心情を思い強い憤り
すら込み上げて来た。
日頃は東電にもきびしい評論家の田原総一郎氏が、当時の首相発言は“世間の
批判の矛先を東電に向けさせる詐術“とまで述べているが、私は子供の頃もめ
事が起きると「僕やっていない、あの子が悪い!」とすぐ責任逃れする子を思
いだした。
しかも、事故調査結果を待たず原因もはっきりしないまま、「原発事故の責任
はすべて東電にある」と決めつけ、どさくさに紛れて力づくで“戦後処理”と
でも云うべき「無過失無限責任」と云う法外な損害賠償スキームを決めてしま
った。迅速に振舞うことが政権の人気に連なるとでも考えたのかも知れないが、
結局当てにした埋蔵金は東電に無く、巨額の賠償金は関東の電力消費者に回っ
ていかざるをえない現状をどう考えているのだろう。
事故直後に偶然出会った学生時代の友人から、後日手紙をもらった。その中で
“今回の原発事故の背景には、その場の「空気」や「雰囲気」で物事を決め、
徹底した議論をせずに結論を出す日本社会の精神風土そのものにある“と云う
趣旨のことが述べられていた。
大震災直後には東電の“戦後処理”よりも優先すべき課題は山積していたはず
だが、何故か賠償問題だけが曖昧さを残したまま決められてしまったように思
う。日本の社会は、何故こうした「空気」で決める愚を繰り返すのだろうか。

 ・マスコミ報道にも、随分ひどいもの多かった。暴走しかけている原子炉を抑え
込むのに懸命な東電幹部を、人々の前で土下座させた惨めな姿を多くに目に晒
させたのは、OBとして居た堪らない気持ちだった。かつて中国の紅衛兵がや
っていた吊るし上げの光景を彷彿させたし、中世の魔女狩りの再現かとも思っ
た。東電を悪者に仕立てて事態が改善され、多くの国民はそれを本当に納得し
快哉を叫んでいるのだろうか。
原発からの放射能飛散についても、随分度を過ぎた報道が目立った。実際に
放射能で亡くなった人や健康に支障が出た人はいないのに、目に見えないもの
への不安や怖れが独り歩きし「風評被害」も急増した。これまで公害訴訟等で
は因果関係をきびしく問われた「風評被害」が、俄かに出来た委員会の基準で
タガが外れたようになってしまい、ここでも日本流の「空気」で決める悪癖が
出ているように思えてならない。巨額の賠償金のつけは、結局は電気料金に
跳ね返らざるを得ないだけに、マスコミもこうした経済的な影響の大きい  
事柄の報道には自ら倫理規制すべきでないだろうか。

 ・今回の原発事故では、幸い人的犠牲は無かったとはいえ、地域社会に計りしれ
ぬ打撃を与えてしまったし、プラント事故としてはこれまで類を見ない巨額な
経済損失を出した。人々の運命をも変えるこうした事態が起きてしまったこと
は、OBの一人としてもきわめて厳粛に受け止めており、3・11以降周りの
仲間の生活もすっかり変わってしまった。

○天災か人災か
・天災か人災かと云う問いかけは、最終的には責任の所在と賠償の対象と云う法
的判断に関る微妙な意味があるようだ。
この点についての政府見解は、今回のマグニチュード9の大地震とその後の大
津波は“天災”であり、被災した多くの人命や財産の喪失について政府は支援
はしても最終的には“自己責任”の範疇と云う立場のようだ。
しかし、原発事故は設備を管理する東電が引き起こした“人災”で、「原賠法
3条但し書き」に記された“異常に巨大な天災地変により生じた”ものには当
らないとし免責されずとした。
だが、同じように春秋の筆法を借りれば、巨額の税金で建設管理されて来た津
波防波堤が巨大津波にまったく無力だったことと何ら変わらないと思う。
津波による人的被害の甚大さに、内心忸怩たる関係者も多いのではないか。そ
ういう思いがないとしたら、この国は救い難い。

 ・原発事故の原因については、すでに政府の事故調査検証委員会の「中間報告」
が発表され、過酷事故に対し国・東電に欠落した点があったことや初動での
不手際などが指摘された。
後日発表された民間事故調報告では、過酷事故に対する東電の組織的見落とし
、安全規制当局の能力不足や官邸主導による現場への過剰介入なども指摘され
た。
全体的な事故原因の解明は、政府の事故調査検証委員会の最終報告を待つこと
になるが、原因追求により今後の有効な事故防止につながることを心から願っ
ている。殊に東電は指摘を謙虚に受け止め、再発防止の徹底を図らねばならな
いのは云うまでもない。
事故調査報告とは別に、巷には専門家と云う人達の夥しい“原発反対”や“東
電批判“の書物が溢れだし、街頭での”反原発デモ“なども行われた。
原発推進の立場と反原発運動の人達とは、根底に文明観の違いのようなものが
ありなかなか溝は埋まらないが、今回は現実に起きた放射能汚染で幼い子供を
もつ世の母親達に原発はいやだと云う“脱原発”が増えてしまった。私の
古い友人の中にさえ原発忌諱の人が出て来てしまったのは残念だが、原発の
安全性をより強固にするとともに人々の「安心」を確保するためにも客観的
な安全基準を広く社会が共有しなければと思う。

 ・「原子力安全神話」と云う言葉には、“神話”という虚構めいたものを感じ余り
好きではないが、日本では原子力発電が40年間安全に稼働して来た実績を踏
まえ、私はリスクは完全に管理しうると信じていた。したがって、言い訳する
資格はないかも知れないが、ただ一方的に“悪者”にされると電気事業に永年
従事して来た一人として云い分はある。
私は今回の原発事故は、建設当初から誰もが予想しなかった巨大津波によるま
ぎれもない“天災”だと思う。反省すべき度合いはそれぞれ異なるにせよ、国
も東電も自然の猛威に敗れたのであり、そこには勝者・敗者や善・悪などある
はずがない。ただ、東電は“原子力事業を運営する人達は人一倍想像力を
豊かにし緊張感を持って仕事をすべし“との指摘には、事故の教訓としても真
摯に受け止めなければならないと思う。
また、自然災害とはいえ、きわめて甚大な被害を周辺に及ぼした“結果責任”
は否定し難いのも事実だと思う。ただ、この“結果責任”が現役世代に重く
圧し掛かっている現状にOBとして何か釈然としない気持ちでいる。
それにしても、国策として進めて来た原子力発電の事故で、現役世代が将来
に亘って苦しむことになる「無過失無限責任」と云う原則は本当に法の「正義」
なのだろうか。たとえ、結果としての「無過失責任」は仕方ないとしても、上
限なしの「無限責任」を一企業が負うことは世界的にも例を見ないし、とても
正常とは思えない。
「原賠法」を制定した時、国会でもこの点が論議されたが、結局“過酷事故な
ど起こるはずがない“と云うことで、今日まで曖昧なままで審議を放置して来
た結果だと思う。アメリカがいち早く原発事故の現実的な損害賠償策として、
「プライス・アンダーソン法」を導入したのと比べても、原子力分野での法整
備を含め日本の社会システムのおくれは明白だ。
国策として原子力発電を進める以上、事故に伴うリスクは広く国全体で分かち
合うのが筋ではないだろうか。“将来起きるかも知れない健康への不安”と云う
ことで発生している、際限なく膨れ上がった損害賠償や除染の費用をすべて東
電に押しつけても、一企業の負担能力の限界をはるかに超えているだけに、い
ずれ早晩このままでは袋小路に陥ることは目に見えている。
事故直後に“すべての責任は東電にある”と断定し、急拵えの「支援機構」を
作ったことの帰結だと思うが、何故こんな歪なスキームを慌てて創ったのだろ
う。

 ・私は今も強い喪失感を持ち続けている。それは東電に対する社会からの「信頼」
が大きく損なわれてしまったことだ。私が古巣である東電を唯一誇りにして来
たものは、社員全員の使命感に支えられた“安定供給”についての社会からの
「信頼」である。それが損なわれたことは、口惜しく無念でならない。“九仞
の功一箕にかく“と云う言葉があるが、これまでの多くの人達の苦労が、津波
で水泡に帰してしまったとは。
わが国には、地震だけでなく台風・洪水・落雷・大雪・噴火など自然災害が、
毎年必ず襲って来る。東電をはじめ関係する多くの社員達は供給支障の惧れが
あれば、たとえ夜間や休日でも招集などなくても自らの判断で三々五々職場に
集まって来る“電気屋魂”とでも云うべき仕事への使命感が根付いている。
どんな暴風雨の中でも危険な仕事をし終えて帰って来る、現場の人達の達成
感に溢れたいきいきした顔が今も忘れられない。また、銃後の守りではないが、
家のことはさておき危険を伴う仕事に送り出す家族のことも決して忘れるわけ 
にはいかない。
今回の事故発生当初、官邸と東電との間で現場からの“撤退”云々について
やり取りがあったと云われる。ことの詳細は知らないが、事実として間違い
なく云えるのは、運転保守に携わる人達全員が現場に踏みとどまり、全電源
を喪失し真っ暗闇になった中で、必死に制御機能の回復に努めたことだ。
あの緊迫した状況下で見せた消防や自衛隊の方々の迅速果敢な活動には、私も
心から感動し頭が下がるが、一週間それこそ不眠不休で恐怖と闘い今もなお緊
張した作業を続けている人達に“御苦労さま”と云う声は何故か聞かれない。
海外では「フクシマフィフティ」として評価された行為も、この国では罵声の
対象でしかないのか。日本の劣化としか思えない。

○大災害と敗戦
・フランスの歴史評論家アンドレ・モーロワが、1940年に書いた「フランス
敗れたり」を改めて読んだ。この本は第二次世界大戦の緒戦に、フランスがあ
っと云う間にヒトラーのドイツ軍に敗れた背景を取材をもとに描いたもので、
軍事的な誤謬を含めフランスの敗因を四つにまとめている。70年も前の話
しだが、ナチス・ドイツ軍の侵入を今回の巨大津波に置き換えてみると、驚く
ほど状況や問題が似ているように思えてならない。

  @平和ボケしていたこと。すべてのフランス人が“馬鹿げた戦争など起こる
はずがない“と云う希望的観測の弊に嵌まり、ナチス・ドイツとの戦争への
備えがフランスに欠けていたと云う。
これは“千年に一度の巨大地震など当分は起こらない”と誰もが思いこみ、
シビアー・アクシデントへの周到な準備をして来なかった日本の状況と重な
るように思う。
A専守防衛に捉われていたこと。ドイツとの国境沿いに構築したマジノ・ライ
ンを不滅の堅城と過信し、フランスではそれ以上の備えや新たな戦闘訓練な
どしていなかったと記している。
わが国でも地方自治体は巨大な防波堤を、政府・東電は原発の多重防護を過
信し、それが毀損した時を想定した防災手段や本格的な避難訓練を予め十分
して来なかったことに通じる。
B指揮の混乱があったこと。フランスでは戦争が始まっても、政権トップ層で
意見の相違や軋轢が目立ち、現場司令官の度重なる更迭や世論に迎合した政
治など、すべてが「平時のテンポ」のままで進められたと云う。
わが国でも原発事故発生時に、閣内での意見の相違が度々報じられ、委員会
ばかりを乱立させるなど世論迎合のパフォーマンスも目立ち、国が一丸と
なって難局に対処する臨戦態勢は結局しかれなかった。
C不安が増幅されたこと。ナチスが送り込んだ第五列(内部攪乱者)によるデマ
に加え、ラジオが流すセンセーショナルなニュースで人々が浮足立ち、社会
の混乱に拍車がかかったと云う。
今回は巨大津波の破壊力の凄まじさや目に見えない放射能汚染の怖さばかり
が繰り返しテレビや新聞で報じられ、社会的不安や風評被害が増幅され今も
その状態が続いている。

戦争と自然災害は起因するところが違うが、ともに人の命が関りそこで問われ
る“危機管理”のあり方と云うことでは共通している。
わが国では核戦争など現実に起こり得ないと楽観している人が殆どだが、偶
発的にせよ核戦争をも想定したアメリカ・フランスが今回その一端を見せた
原子力災害への迅速な対応や放射性物質への対処など、 有事への備えの彼我
の違いを改めて見せつけられた。
核保有国も増えつつある現在、テロなどシビアー・アクシデントへの備えとし
ても、欧米に準じた原子力危機管理体制をわが国でも真剣に考えるべきだと
今回つくづく思った。

 ・敗れたフランスを救済するため、モーロワは次のような提言をしている。
@フランス国民は精神的・道徳的に強くならねばならない
A緊急時では“時間”が最重要で、政府は敏捷に行動すべき
B政治家は国民の団結を強調し、国の統一を保持すべき

特にモーロワが強調しているのは、緊急時での迅速な行動であり、自己の政治
生命よりも国の安否に強い関心を持ち、国のすべての行動の「時間表」をつく  
る強い指導者の存在が不可欠だとしている。
ちなみに、混乱したフランスに比べイギリスのチャーチルは、政府に独裁者に
も匹敵する絶大な権力を与えると云う法案を、たった数分で議会で決めてしま
ったと、イギリス議会民主主義の歴史と伝統をモーロワは賞讃している。
我が国では、原発事故収束に向けて「工程表」がつくられ一定の成果が得られ
たが、大震災からの復旧復興全体に関る「時間表」は何時出来るのだろう。

 ・先日の或るメディアに、“東電と云う借り手を生かさず殺さず必死に働かせて
国への借金を返させるのが「賠償支援機構」だ“と云う、民主党関係者として
の話しが載っていた。もし本当にそう思っている人がいるとしたら、それはと
んでもない思い違いだし驕りとしか言いようがない。
確かに東電は巨大津波に敗北したが、今回の原発事故に勝者などいない。この種の
報道に接すると、敗戦後満州から極寒のシベリアに連れて行かれ奴隷として酷使された
60万同胞を思い浮かべる。ハーグ条約を無視して酷い過去を残したスターリンの
遺伝子でもこの国には有るのだろうか。
我が国は今日ほど、政治・行政の果たすべき主導的な役割と民間企業の活力 
が求められる時代は、敗戦後の一時期を除きこれまでなかったと思う。この
国家存亡の危機とも云える状況下で、国民に一致団結を呼びかけるのではなく、
“官僚排除”とか“大企業叩き”で国民の心を分断し、政争に明け暮れている
ようでは、復旧復興どころかこの国の将来さえ危ぶまれる。

 

○PTG世代頑張れ!
・3・11から早くも一年が経過した。今年2月には復旧復興を一元的に管轄
する「復興庁」もようやく発足した。
少しずつ前進しつつあるようだが、未だに30万人とも云う避難民はそのまま
だし、被災地には100年分と云われる瓦礫の山が引き取る自治体も少なく放
置されたままになっている。
放射能汚染の影響が、問題を複雑にしている部分も否定出来ないが、今もすべ
てが「平時のテンポ」で動いているようにしか思えない。特に、帰るべき家が
ある福島から避難された人達が、故郷に戻れる日が早からんためにも原発の安
定的な冷却は勿論、除染をはじめ人々の「不安」解消のための施策の促進を心
から願っている。

・原発事故が発生して間もなく、菅首相は「脱原発依存」と云うこれからのエネ
ルギー政策の基本方針を早々に内外に表明した。
これも「雰囲気」で決めようと云うことのようだが、世界的にエネルギー資源
獲得競争が熾烈化し中東産油国の政治状況も流動化し始めた矢先だけに、新た
なイノベーションがない自然エネルギーに大きく依存する方針は現実性がない。
それにしても、防衛とかエネルギーのように国の存立に関る政策については、
子供手当などと同列でなく“しっかり”した裏付けと将来展望をもって打ち出
してほしいものだ。
また、東電が事故収束の渦中にある中で、“発送電分離”“自由化”とか“国有
化“といった云わば”戦後体制“の話しがメディアを賑わすようになった。
提起される新たな体制は、電気事業の歴史の過程ですでに経験し弊害も踏まえ
て今日の姿になっているだけに、私には正直新規性も魅力も感じられない。
電力を自由化しさえすれば安定供給は確保されると云う人もいるのだろうが、
使命感を欠いた「自由化神話」はおそらく“魂の入ってない仏”になるのだろ
うか。

 ・東電にとっては“戦後体制”よりも、まだ戦の最中の原発事故の収束や増大す
る賠償への対応という過去向きの仕事と、収支の立て直しと安定供給と云う事
業本来の仕事で通常の数倍の仕事を抱え込んでしまっていることの方が切実な
問題だ。しかも、リストラやコストダウンで削られた人員・給与で対応しなけ
ればならないと云う、苛酷としか云いようのない矛盾した状況でせざるをえな
い立場に追いやられている。
かつての大本営が兵站を無視して精神力で戦えと云っていたことにも通じるが、
私はいつまで現場の“気力”が持ち堪えられるか危惧している。まだ社員に愛
社心があり頑張っているが、苛酷な状況が長引けばいずれ現場は内部崩壊を起
すのではと思う。身贔屓との謗りも受けそうだが、福島の人達が普通の生活を
取り戻すためにも、きびしい事故の収束作業を的確・迅速に進めることが不可欠であり、
そのためにも現場の人達は長く苛酷とも云える戦いに耐えねばならない。
残念ながらOBとしては激励くらいしか出来ないが、東電の現役は敗北感など
もたず常に前向きな気持ちでこの艱難を撥ね退け、失われた社会からの「信頼」
を取り戻してほしい。

 ・評論家の立花隆氏は、私とほぼ同じ時期に同じルートで北京から引き揚げて来
ているが、或る雑誌に今回の大災害の印象を記していた。
その中で、災害などで受けた心的外傷は「心的外傷後ストレス障害PTSD」
と云う鬱になることが多いが、逆に苛酷な体験で「外傷的成長ポスト・トラウ
マティック・グロウスPTG」になることもあると云っている。 また、
立花氏が云われるように、“日本の若者が今回の理不尽な苦難体験に押しひしが
れるのではなく、それを糧に頑張ってほしい“し、私はPTG世代が今回の未曾有
の災害を契機に逞しく成長することを確信している。また、国の指導者は被災した
方々が苦難を乗り越えるためにも、人々が“希望”を持てる状況を早く造り出して
欲しいと切に願っている。


(12.05.17)

 
     

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