悦子の談話室

被爆者

     
 

先の三木会で思いも寄らぬ知人の人生を知った。
三木会とは、以前にも書いたが異業種交流会の草分け的存在で既に40年弱続いている。私もこの知人も古くからのメンバーだ。

知人とは山中茉莉さん。作詞家やメディアプランナーとして知っていた。美しく明るく健康そのものの人。
が、今回の会合で初めて知った。出身は広島、被爆者で先のニューヨーク国連での核兵器廃絶会議に日本被爆者代表の一人として出席、スピーチをしてきたばかりだという。過日はテレビでも話したと言う。同じテーブルだったので聞けた。
これまでは語れなかったと、何も。3年前に母上が亡くなり、自分も少しづつ話さなければと覚悟をしたという。
2歳の時に被爆。キノコ雲の真下にいたのだそうだ。家の中で助かったとか。小さいから自身の記憶はあまり定かでなかろうが、いろいろと聞かされたり調べたりしたのであろう。
年配者の被爆者は年齢的にも亡くなっていく今、ようやく話す場にも自分も出かけねばという気持ちになったと。お涙頂戴の話ではなく、厳密に科学的に原爆の被害を調査し話していきたいと。
ニューヨークで話したとき、「原爆を落としてごめんなさい」ではなく、「そういう現実を知らなかった、話してくれて有り難う」と皆が涙していたことが印象深いと。これからは出来るだけ話していきたいと。

広島の原爆資料館には私もずっと以前に行ったことがある。なかなか観光などでは広島の地に行く勇気がなく、仕事で行った際にようやく原爆資料館を訪れることが出来た。その印象は筆舌に尽くしがたく、戦争の恐ろしさを肌で痛切に感じ、この被爆者たちの鎮魂をいかにしたものか切実に感じたものだった
が、近年、その展示があまりにも恐ろしい有り様で子供たちが怖がるとかで、顔など一部を修正して展示しているという話を聞いたことがあり、どう思うか聞いた。
きっぱりと彼女は、現実の事実を知らしめないでどうするの、事実の恐ろしさを知らせないで。18歳に選挙権を持たせるのに、と話してくれた。全く同感だ。
戦争は絶対にいけないと締めくくった。

原爆といえば、パール・バックの小説『神の火を制御せよ』いう本に原爆製作の話が書かれている。

今回のゲストスピーカーはそれなりの話をしてくれたが、私としては今のタイミングで彼女に話しをして欲しかった。ま、幹事が彼女の情報を持っていなかったのだから仕方ない。次回には是非にと幹事に伝えた。

(15.07.19)

 
     

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