悦子の談話室

これからの戦争と平和を考える

     
 

昨夜、「これからの戦争と平和を考える」と題した戦後70年記念トークイベントが持たれた。
私も会員の「難民を助ける会」主催。会場は有楽町朝日スクエア。
「難民を助ける会」理事長の長有紀枝さんと同じく副理事長で自称紛争屋の伊勢崎賢治さん、途中から特別参加の外交評論家の宮家さんによるトーク。
1時間半でこの難問に対するこの3人のトークが収れんされるはずもない。
それぞれの国際舞台での紛争・復興・平和構築の現場で活躍する人の生の声を聞けたのはいい収穫だった。
マララさんの著『わたしはマララ』を思い浮かべながら聴いた。

ルワンダの大虐殺、100日間で100万人が殺された。そこでの国連PKOリーダーとして武装解除の仕事に就いた話
コンゴは540万人の虐殺があり、同じく中立の立場で武装解除に取りかかった。
コンゴは今をときめくレアメタルの産地スマホはこれがなけれは生産出来ない。世界の企業はコンゴと(闇)取引をし貴重な資源を独り占め。これがコンゴ内紛の大きな要因の一つだ。
西欧諸国ではこうした企業の生産物を買わない運動も起きている。
日本は? こうしたことを知ってか知らずか、不買運動などどこへやら。

紛争地帯で国連PKOが内政不干渉の原則を貫く中、人権、人間、人民の安全保障を保護する責任の難しさ、そこでの武装解除を進める困難さ。
紛争の激しい中に難民は生じてくる、その難民の支援を、NGOとして中立の立場で進める難しさ。国連、政府、反乱軍どちらかの警護を受ければその色が付いてしまう。
武器の使用は自衛隊に認められている。しかし武力の行使は自衛隊はしてはならない。こんな国は日本以外にない。武力行使に発展したとき、日本の自衛隊は逃げるのである。世界の紛争地帯はそんな甘い物ではない。
戦争戦闘の違い。

3人の話の共通点は、日本で今検討されている安保法制は、世界では全く通用しないということだった。
「一体化」とか「かけつけ警護」とか日本で言うが、これは日本国内だけの議論。英語にそんなものはない。`イッタイカー!` とでも言いますかと。
世界で支援活動を展開しているNGO難民を助ける会の切実な声として、長さんは、支援地域では日本は中立でみんなを助けてくれているという信頼を得ているのに、アメリカの尻馬に乗ってアメリカと一体だなどと見られるのは甚だ迷惑千万だとアメリカの空爆は、多くの住民の死者を出しているので、アメリカは評判は悪く、アメリカと同じなどと考えて欲しくない、と。

長さんの話、「紛争地帯に日本政府の依頼で視察に行った時、自衛隊の幹部もいた。彼曰く、こういう凄まじい現場は長さんは何度も見ているでしょうね、僕は初めてだ、と。海外の戦地、紛争の凄まじい地に、国連PKO職員、外交官、NGO職員はいてその実情を見ているが、自衛隊は見たことがないのだ」

最後に、質問で、紛争をよそ事として見ている日本はどうしたらいいかというものが出た。
宮家さんの答えは、「こんな質問が出るのは日本だから。日本が平和だから。紛争当事国の人々はそれどころではない」
平和にも二種類あり、積極的平和と消極的平和があるとも。わたしは考えた、平和ぼけ、平和的無知も、と。
他に対する想像力の欠如、無知、無関心、そして知ったかぶりが一番怖い。

安保関連法案が強硬に衆院を通ってしまった今日、1時間半のトークではもったいない、もっともっとこうした場をもたねばならないだろう。

真夏の夜の夢は、おおいに辛口であった。

(15.07.24)

 
     

[悦子の談話室へ]

 

NewChibaProject