悦子の談話室

友人からの感動のメール、その2

     
  ダウン症の青年、赤尾祐介君の『挑戦編』につづく完結編『つ
いに初段に編』です。
余計なことも書いてありますが、読んで
ください。
            マレーシア 渡邉明彦  (05.10.15)


赤尾祐介君が黒帯を締めた

 8月31日。シンガポール柔道クラブの先生方、東京に帰った先生方も、そして再審査にあたったわたしたちも、合格発表の瞬間を待つ受験生の親の心境だった。日本時間の四時をすぎる頃、東京の長谷部良夫先生からメールで「まだか?」という催促があった。五時頃になって講道館国際部に電話をかけた。「まだ、審議中です」という返事が返ってきた。6時すぎ、国際部藤田先生から下記のメールが届いた。

渡邉先生

 祐介君を含む初段、2段推薦者いずれも、私の方から若干の説明
を加えて、国際部審議会で承認されましたことをお知らせ致します
(本日、2005年8月31日付け)。但し、証書作成には少し時間が
かかりますことをご承知おき下さい。

 祐介君本人は勿論のこと、赤尾家ご一家、そして坂元、渡邉両先生
はじめ携わってこられました関係者の皆様に心よりお祝い申し上げ
ます。祐介君は本当に良く頑張りました。もっともっと柔道を楽しんで
下さい。

取り急ぎ、お知らせまで。

藤田真郎

 早速,赤尾祐介君のお父さんの赤尾良一先生、長谷部先生、祐介君の初段挑戦のきっかけを作った今泉一隆先生にメールで合格を知らせた。5分と置かずに今泉先生から返事がきた。長谷部先生からは電話がかかってきた。赤尾先生は運悪く会議中、でも終わるとすぐに電話があった。「今晩は,家族でお祝いします」。だれも関係者の誰もがほっとした。
 その日は朝から不安だった。 坂元英郎八段とともに再審査をしたわたしが昇段申請書と初段の推薦書を書いた。マレーシアから弐段二名とシンガポールから初段二名を自信をもって推薦したつもりだった。祐介君の挑戦を、全日本柔道連盟はホームページに掲載してくれた。講道館の『柔道』,日本武道館の『武道』、ベースボールマガジン社の『近代柔道』にも載せてもらった。多くの人々が注目していてくれる。それだけに、万一、誤記などがあって審査を通らなかったらという一抹の不安があった。
 うれしかった。でも、だれよりもうれしかったのは祐介君自身。、そして、ご両親と弟の俊介だったにちがいない。

多民族の中では、障害者は「ちょっと個性的なだけ」

 マレーシアに住むわたしたちのバングサ道場は、マレーシア柔道連盟のトレーニングセンターを兼ねている。ここにはマレーシア人だけでなく、ビジネスで駐在したり、学業で留学中の外国人もとっかえひっかえやってくる。イギリス人、フランス人、オーストラリア人、ロシア人、ウズベキスタン人、韓国人。そして,わたしたち日本人もいる。子供たちの中にはマレー人も中国人もいるし、今はロシア人の子もいる。日本人といろいろな民族との混血の子も多い。
 シンガポール柔道クラブも似たようなものだ。シンガポール柔道クラブでは聾唖者の青年が練習のリーダー格になっている。様々な人種がいる。民族性が異なり、体格も違う。一人一人がひじょうに個性的だ。そこに目が見えない人が入ってきても、祐介君のような知的障害のある人が入ってきても、クラブの先生方も生徒たちも、大人のメンバーも、「ちょっと個性的だな」と思うだけでさしたる違和感を感じない。わたしたちのバングサ柔道クラブにも、七月末まで自閉症の兄弟がきていた。馴染むまで時間がかかったが、お父さんと三人、道場に一番乗りして、わたしたちと一緒に柔道をたのしんでいた。道場の入り口で「今日は柔道はやらない」と言ってごねてばかりいた子が、最後の二,三回の練習では柔道に夢中、休憩時間の仲間との遊びにもよろこんで参加していた。そして、最後の練習日、弟は技をかけるたびに「ヤーっ,ヤーっ」と気合をかけていた。「ヤー」っと叫んだ瞬間、いつもはぜんぜんかなわない子を大外刈で投げ飛ばしていた。「やったな。すごいぞ」と声をかけたらうれしそうに「どうだ」って顔でうなずいた。最後だということでカメラをもってきたお母さんは、最初のうちは撮りまくっていたのに、何時の間にかおしゃべりに夢中になっていた。その目の前で、はじめて相手を投げ飛ばした。ゴロッと転がしたんじゃない。投げ飛ばした。その瞬間、お母さんの目が輝き、そして、千載一遇のシャッターチャンスを逃して「しまった」という表情になった。自閉症だって単なる個性の一つだと感じた。

日本の伝統武道は海外志向。とくに柔道は

 最近、日本では国際理解教育が盛んに行われるようになってきた。単一民族の島国育ちのわたしたち日本人は「(国際人として)井の中の蛙」、「異質な存在を受け入れない」というイメージがつよい。中でも、柔道や剣道,空手,合気道のような日本伝統の武道をやっている人間は、ともすればナショナリズムの権化の右より人という偏見を受けやすい。しかし、幸いにも日本の伝統武道は、とくに欧米の人たちに大きな関心をもってもらっている。そして、武道自身も積極的に海外の人々に普及し,強化するために頑張っている。相撲を含めて,日本で生まれた伝統武道がどんどん国際化している。 
 逆に、日本で盛んな野球やサッカー、バレーボールなど世界でトップ10にはいるようなスポーツは、スポーツ後進国に対する普及活動や強化活動に大きな関心をもっていないように見える。外国人選手が日本で活躍しているし、野球やサッカーでは日本の一流選手がごく少数、格上のリーグで頑張っている。それなのに、格下の国にはほとんど関心を示さない。野球がいい例だ。10年前までは高校野球並だと思っていたオーストラリアチームに、アテネ五輪で歯が立たなかった。格下に目を向けていないからこういうことになる。戦後、日本サッカーがどん底にあった頃、マレーシアだけは対等に相手をしてくれた。その後、日本はワールドカップ出場常連国を目指すほどレベルアップしたが,逆にマレーシアはどん底にある。その結果、日本のサッカーはマレーシアを「(マレーシアで行われた大試合の予選で勝ってきたラッキーカントリー」という目でしか見ていない。日本人の指導者なら、体格や性格が似ているアジアの人々に、彼らの体格や性格に合った指導ができる。技術的だけでなく、組織の作り方もアドバイスできる。それなのに、上を見て呆然としているだけで,下を見ようとしない。
 スポーツの国際化という点では、日本の伝統武道は他のスポーツよりもはるかに進んでいると考えていい。柔道は創始者の嘉納治五郎先生が日本のオリンピック委員としても活躍した国際人であることも大きい。多くの指導者が世界各地に飛び出していった。体格では数段大きな選手の多い欧米でも指導にあたってきたし、発展途上国の多い中南米にも大勢行っている。もちろん、アジア,オセアニアの各国にも柔道の専門家だけでなく、企業から派遣された多くの駐在員たちが学生時代にもどって柔道着を着て汗を流している。
 空手も合気道も同様だし、日本でしかやっていないと思われがちな剣道も各国で行われている。せこでも、専門家だけでなく、駐在員や学生でやってきた有段者が指導者として、あるいは修行者として汗を流している。柔道だけでなく、日本の武道はあらゆる国の人々を受け入れている。そこでは技と技だけでなく、個性と個性がぶつかり合っている。祐介君も「ちょっと個性的な人」でしかない。

組み合うこと。相手を感じて得られるもの 

祐介君の合格の知らせを受けて、指導者の一人だった長谷部四段は「私たちが同じ畳の上で祐介君と初めて会ったとき、別に何も考えず、ただ柔道着を着た仲間として柔道をたのしんでいるという感じだった」と語っていた。本人やご両親が意識するほど、シンガポール柔道クラブの指導者たちもメンバー
たちも違和感を感じていなかった。
 練習でも試合でも、相手と組み合うことからはじまる柔道はとくに視覚障害者(盲人)にとってはきわめてフェアなスポーツだといえる。剣道はもちろん、空手にしろ,合気道にしろ、相手との間合いがある格闘技はッ障害者スポーツには適さない。 闘志をむき出しにするのが苦手な知的障害のある人にとって、組むことからはじまる柔道は入りやすいのだろう。もちろん、最近の試合でよく見る、手と手ではたきあっている組み手争いは障害者にはなじまないが。
 そして、障害があろうがなかろうが、組み合うことで掌(てのひら)から相手の動きや気持ちがつたわってくる。わたしたち健常者でも相手と組んだ瞬間に、相手から様々な情報がつたわってくる。それは「この相手は自分よりもつよい」とか、「この相手なら勝てる」というものから、相手が技をかける直前の気配を読みとることもできる。組み合うことに相手から得る情報量は,おそらく健常者よりも障害者のほうが大きいのではないだろうか。もちろん、組み合って相手の動きを直接感じることは、人間と人間の最高のコミュニケーションでもある。相手のぬくもりを感じ、息吹を感じることができる。同じ人間同士がここにいると感じることで、健常者と障害者のあいだの垣根が消えるのではないだろうか。
 日本の伝統武道のイメージは「練習は苦しいもの、その苦しさを耐えて乗り越えていく根性が必要だ」という修行者、求道者的な感じがする。柔道、剣道、合気道とあって、空手道、相撲道と道がつづく。道は生き方に通じ、より高い世界にむかう。欧米人が日本の武道に関心をもつきっかけは「道」が「武士道」につうじると感じるからだろう。きっかけはそうでも、多くの欧米人は武道もスポーツと同じ感覚でたのしんでしまう。武士になったつもりで礼をするし、先生を敬う。わたしたち日本人にはどうでもいいような、作法にもこだわる。まるで,江戸時代の武士になったつもりでたのしんでいるように見える。
 けれども、欧米の人々の柔道に悲壮感は感じない。わたしが経験したのはオーストラリアでのイギリス式練習だが、まず、練習がたのしい。たのしいから練習を一生懸命にやる。そして、つよくなっていく。それもたのしい。試合で勝てばもっとたのしい。つよくなっていくと、柔道着の着こなしがよくなってくる。礼儀作法も身についてくる。他人目にも、かっこいいなあと思えてくる。練習方法も他のスポーツのトレーニングのいいところをどんどん組み入れてしまう。子供の遊びのようなものも取り入れている。練習が終われば,仲間たちとビールを飲みにいく。メンバーが開くホームパーティーに行って大騒ぎをする。武道ではありけれど、本質的にはスポーツ。「たのしくなければ,スポーツじゃない」そんな感じだ。
 百数十年、イギリスの統治下にあったマレーシアやシンガポールの人々も、武道に向かう姿勢はスポーツだと思う。誰がきても、例え、一日しか滞在しない出張者であっても、柔道の仲間として受け入れてしまう。それが柔道のよさ、たのしさをともに感じるということだ。嘉納治五郎先生のいう『自他共栄』でもあると思う。

祐介君のお母さん、明子さんからと今泉先生のメッセージ

今回の祐介の昇段につきましては まだこれは本当のことなのだろうかと 夢なのでは と思う時がございます。祐介が黒帯を締めて道場に立てると思っただけで 胸が熱くなり涙が溢れます。
 道場に通いだして早八年 当たり前のように”日曜日の朝は稽古”という生活パターンが出来上がり、どんなに眠くても起きて稽古に行くという生活がしっかりと祐介の身体の中に根づきました。その中で初段に挑戦するということは 最初思いもよらないことでしたが 優しい先生方や仲間の励ましや手助けをいただき また講道館のご立派な先生方との新しい出会いにも恵まれ この一年 新しい大きな目標に向かい走りつづけることが出来ました。 だれもが人生の中で自分を発揮出来る得意なもの 好きなことを捜し求めるように思いますが 祐介にとりましては柔道が初めて自分を堂々と発揮出来るものとなりました。 そんな人生の宝物を見つけることが出来ましたことは、祐介にとり、家族にとり、なんとうれしい、ありがたいことでしょう。
 これから社会に出ていかなければならない祐介がぶつかるであろう試練にも 柔道に取り組んでいる時のひたむきな姿勢で立ち向かっていってほしいと思います。 今後も柔道を愛する多くの方々との出会いを大切に 祐介らしくコツコツと稽古に精進し 身体も心も逞しく成長していってほしいと切に願っております。
祐介は皆様から 頂戴しました柔道着をとても大切にいつもそばにおいて休んでいます。昨晩 初段の賞状を見せ ”次の日曜の稽古からそれを着ていいんだよ”と主人が申しましたら ”本当?嬉しい!”と とても喜びました。そんな祐介を見るのが私達の何よりの幸せです。本当に大変お世話になりましてありがとうございました。 今後共 ご指導の程 宜しくお願い申し上げます。
                                       赤尾明子


 今回の祐介君の昇段に関しては、赤尾先生ご一家の愛情の深さ(同じ子を持つ親としても、尋常ではない愛情の深さを感じました)、シンガポール柔道クラブの皆のくったくのないFriendship(特に子供たち)、ご本人の地道な稽古(途中つらいこともあったはず、とくに早起きの苦手な祐ちゃんだから)の大切さ(道に励むものとして他の皆さんも一緒ですが)、本番の極度の緊張を乗り越えたこと。
こんなことを思い返しました。
 以上のような中で初段を取ったことが、今後の祐ちゃんの益々の自信につながり、柔道を通じて沢山の友達を作り、今後の人生の糧に出来るものとして精進を続けてもらえたらと願っています。
 人間やれば出来るを証明した努力の人だからでしょうか、きっと柔道以外の他の難しいことにも挑戦できるのではないかと思っています。将来を楽しみにしております。

                                      今泉一隆

 10月9日、クアラルンプールから再審査にあたった坂元英郎八段とわたし(渡邉明彦五段)、東京から指導者だった長谷部良夫四段がシンガポール柔道協会道場に集まり、祐介君の初段認定書の授与式が催された。日本に帰国した先生方から贈られた真っ白な柔道着をまとい、坂元先生とわたしが贈った黒帯をきりりと締めた祐介君は誇らしさと恥ずかしさが入り混じったような表情でパガ・シン・シンガポール柔道協会会長やわたしたちの前に立った。全日本柔道連盟の国際委員会の委員でもある坂元先生が認定書を読み上げ、祐介君に手渡した。そして、握手。うれしくてたまらないという表情になった。
 途方もないことと思っていた黒帯を締めることへの挑戦。祐介君は初段になった。そして、黒帯を締めた。柔道をはじめた者のすべてが最初に見る夢に、八年かかって到達した。
                                     文:渡邉明彦


 授与式の前に練習している祐介君を見ていて「すごいな」と思ったのは、100キロもある巨漢の先生を何度も背負って、投げていたことでした。自分が現役だった頃、体重差が30キロあると重量級を背負ってしまおうと幾度も試みたがだめだったことを思い出しました。仕方がなくて、背負投を掛けるふりをして、他の方向に倒すことを考えていました。実際、体重が自分の1.5倍ほどある相手を背負うには、よほど強靭な足腰がなければむりだと思います。祐介君は八年かけて、その強靭な足腰を作り上げたのでしょう。一歩一歩、歩みは遅いけれど、着実に前に進んできたという証でした。
 蛇足ですが、今泉先生から「祐介君に初段の審査を受けさせたい」と言われたときに、わたしは反対しました。わたしには「無理」だとしか思えなかったのです。受験者の三分の一くらいの人が失敗する難関の「投げの形」をマスターできないだろうと思いました。日本の伝統武道の総本山である講道館という組織を考えると、知的障害者の柔道に対してどのような認識をもっているかを想像すると、否定的にならざるを得ませんでした。そして、奇跡的に初段になったとして、健常者と同様に初段としてやっていけるかという不安もありました。
 今泉先生は「わたしたちができるだけのことをする。祐介君ならできると信じている。黒帯を締めても十分にやっていける」と熱心に思いを伝えてきました。一人の柔道をしている青年を見る眼の違いです。シンガポールにいてシンガポールの祐介君に直接触れ合っている先生がたと、クアラルンプールにいて時々シンガポールの青年を見ていたわたしとの違いでした。先生方やシンガポール柔道クラブの仲間たちの祐介君へのつよい思いに、わたしはうなずくしかありませんでした。
 審査の前日、わたしは講道館の藤田真郎先生と向井幹博先生と障害者の柔道について話をしました。柔道によって障害のある人たちが生きる目標をもつことができる。そして、障害のある人が柔道をしていることによって、家族や道場の仲間に元気を与えてくれる。そんな話しをしているとき、向井先生が「自分の息子も生まれつき骨が折れやすい障害をもっていること。その子がお父さんがほかの子供たちに柔道を教えているのを見て、自分も柔道着を見て道場にくるようになったこと。そして、その子が柔道着を着て道場にいるときに、目が輝いている。柔道がエネルギーを与えてくれているように思う。などと語ってくれました。「子供を見ていると、柔道ってすばらしいなと思う」向井先生の実感でした。
 もう一人の祐介君がいると思いました。柔道が生きるエネルギーを与えてくれる。周囲の人々にも勇気や元気を分け与えてくれる。わたしは、それがスポーツなんだと思うのです。「たのしい」から出発して、「もっと、たのしい」と思うために目標をもつ。練習で今までぜんぜんかなわなかった相手に膝をつかせた。今度は転がしてやろう。次は投げてやろう。試合に出よう。試合に出るからには勝ちたい。次から次に目標ができる。ほかのスポーツでもいいとおもうのです。
 たまたま、柔道は視覚や聴覚に障害のある人々にもできるスポーツであり、知的障害のある人々にもできるスポーツだったのだと思います。そして、柔道は片腕が不自由な人でもできるスポーツだと思っています。もっともっと多くの障害のある人々がたのしむことができるスポーツだと思います。その意味で、柔道の寛容さを感じています。
 講道館や全日本柔道連盟では、わたしの予想に反して(偏見でした.お許し下さい。)、知的障害者の祐介君の初段への挑戦に理解を示してくれ、思いもしなかった山下泰裕先生や上野雅恵選手の激励の色紙が贈られました。すばらしいことだと思いました。八月三十一日に祐介君の初段が認可されたことを知ったわたしの友人たちは「講道館の大英断だね。すごいね」と言ってきました。
 けれど、祐介君が門を叩いたから開けてくれたのではないのです。はじめから、障害があってもなくても、すべての人たちに 講道館の門は開かれていたのです。わたしたちはそれに気がつかなかったのです。『精力善用』、『自他共栄』の精神がそこにあります。そして、柔道に支えられて、祐介君は『力必達(力めれば=つとめれば、必ず達す)』を体現しました。



障害のある柔道着を
向井先生
それでも
 
     

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