悦子の談話室

老いを生きるその2

     
 

従姉妹がわが家の近くの老人ホームにいると聞いてびっくりして見舞いにいった。
亡母の姉の娘で、母と比較的歳が近く、母のことを姉さんと言って、わが家にもちょくちょく来てくれていた。

母が着ていた紫色の洒落たカーディガンを形見に持っていった。
肩にかけてあげたら、思い出して泣き出してしまった。
「こんな年寄り染みたもの着られない」と強がりをいうから、「私が着ようと思ってとっておいた母のお気に入りよ。素敵です」と。
幾つになったのと聞いたら、「妙齢な婦人にそんなこと聞くもんじゃない!」と相変わらずの元気な口調だ。たしか89歳!

一人住まいで、3年前に腎臓の病気で倒れ、入退院を繰り返していた。

建築家の長男息子が家をバリアフリーに改装してくれたはいいが、高齢の従姉妹には新しい技術は使うことができない。どのボタンを押したらいいのか分からず、お風呂にも入れないでいたそうだ。
高齢者に最近の電子機器を使えといっても無理なのだ。

うちの母は明治生まれのしゃきしゃきだった。新しいものをどんどん取り入れ活用する人だった。が、80歳前後だったか、IH炊飯ジャーを買ってあげたが、いつまでも使わずにしまってあり、古いお釜で炊いていたことがあった。
どうしてと聞くと、使い方が難しくて分からないという。
この母にしてこういうことか、老いとはこういうことなのかと愕然としたことがあった。

そうでなくても、従姉妹は既に今言ったことや聞いたことを直ぐに忘れているようだった。

娘が一人住まいは無理と判断し、有料老人ホームに入れた。本人は気持ちが強いから、老人ホームなんかには入らないと頑張っていて、そこが老人ホームとは知らないでいる。

どの家庭にもさまざまな事情がある。
子供達も結婚して自分の家庭にがんじがらめだ。
急に老親を引き取ったり、同居するのは無理だろう。

その従姉妹の弟(若くして死亡)のお嫁さんが一緒に見舞いに連れて行ってくれたのだ。
彼女は80歳。わが家の近くに孫娘と住んでいる。
入院中は毎日見舞ったといい、夜中でも呼ばれて行くことがしばしばだったらしい。
ほんとうに心根の優しい女性だ。
その彼女が言った。「子供が出来ると、親よりも子供のほうが大切になってくるものなの」

川崎市に住んでいる銀行マンだった末息子のお嫁さん(53歳)が来ていた。
週一回見舞いにくるそうだ。

(07.11.14)

 
     

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