悦子の談話室

三陸海岸の旅 2

     
 

三陸海岸の旅2日目は陸中宮古から。

宿舎から休暇村の散策。
姉ヶ崎へ行く。

 


浄土ヶ浜
海から眺める。

向こうに停泊中の遊覧船に乗る。
現在唯一津波を逃れ沖に避難して残っている船
他は全て津波に流され、同社の船は陸の家屋の上にまで持っていかれた。


津波に流されたブイが、崖の高いところにある岩手県県木の赤松の幹に引っかかっている。

ウミネコがたくさん飛んでいる。
カモメとは違う。


ウミネコは尾に黒い横筋がある。


今は長閑に釣り船が。「サッパ船」という。


蝋燭磐。


ブイのあるところは捜索中の印し。


掘削捜索船。

大分霞んできた。
40分程の乗船。
下船したら、次は欠航とのこと。
霞みは山背。午前中はもう晴れないとのことだった。


上陸して浄土ヶ浜を散策。


傍らに1960年のチリ地震による津波被災の記念碑があった。
あれから50年。天災は忘れた頃にやって来る。でも、この地方はその後幾度も津波が襲っている。


宮古湾に山背がまるで雲のようにたちこめている。

 

山田町


「道の駅 やまだ」は開業している。

 

大槌町


車窓からコンクリートの建物ががらんどうとなってぽつんと建っているのを見る。


釜石湾
釜石大観音が建っている。

 

大船渡市
碁石海岸

 

陸前高田市


「道の駅 高田松原」はまだ震災で休業中。


奇跡の一本松見学へ。


ダンプカーなど復興事業の幕で印した車輌がひっきりなしに復旧なった道路を走る。
こうした作業用車輌も東京オリンピックの施設建設が始まればそちらに取られてしまうと、地元の人は思案顔。


JRバス停。

奇跡の一本松。
この辺り一帯を長年津波から守ってきた防潮林の松林。7万本はあったというが、この1本を残して全て流されてしまった。残った理由は、前にあったユースホステルの建物が津波を遮ってくれたからか。そのユースホステルの残骸も見るに忍びない。
この松も、海水にやられて大分痛んでいて、コンクリートを注入し、モニュメントとして保存しているわけだ。


松の補修作業中で足元まで行かれなかった。

パネルで示しているとおり、この一体も地盤沈下が激しく、側の山を掘削して土をベルトコンベアで運んで新しく高台を作って宅地を造成しようとしている。


ベルトコンベアの専用吊り橋。
あの先の山を掘削している。


そして、道路を隔てて奥地に土を運び、高台を作っている。

住民の人々はみかけない。多分仮設住宅にいるのか。
作業員の人々の数も少ない。

気仙沼

 

お土産やで、『使命ー証言・岩手県警察の3・11』岩手日報社刊を見つけて購入。

一路、一の関に向う。
一ノ関から新幹線で東京に帰る。

精神的に大変疲れた旅だった。
しかし、訪問者が疲れたなんて言っておられない。毎日こうした環境におかれ日々気持ちを持ちこたえるために強く生きている人々がいる。なんと立派な事だろうか。どうか挫けることなきように嫋やかに頑張ってください。


[14.07.01 了]

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