ブルガリア・ルーマニアの旅

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5日目 5/27  曇り時々小雨 17℃

カザンラクへ

プロブディフから2時間ほどドライブ。



薔薇の谷と呼ばれる地区。


バラ畑が広がってきました。

ダマスクローズの花摘み作業中のバラ畑で写真撮影。
ダマスクローズは薔薇油を採取するために改良を重ねて作られた薔薇の品種。一般の鑑賞用の薔薇とは違い木も花も小振りだ。
世界の7割程の薔薇油を生産している。
作業中にもかかわらず、写真を撮らせてくれたり、摘んだ花を分けてくれたりと、気分は1週間後に控えている薔薇祭り!


この袋におよそ15kgの花が摘まれている。

 

谷の中心の街、カザンラクへ

100段程の石段を登る。

トラキア人の墓へ

これを鑑賞することも、今回の旅の目的の一つ。

トラキア人は
、古代東ヨーロッパに住んでいた。インド・ヨーロッパ語族に属するトラキア語を話していた。
古代ギリシャや古代ローマ帝国の文献に現れ、当時のヨーロッパで有数の人口と勢力をほこっていた。今日多数の精巧な金製品などが発掘されている。
トラキア人に関する最初の記録は、紀元前8世紀末の吟遊詩人ホメロスの『イリアス』に現れ、トロイアを支援して戦ったとあり、『オデッセイア』ではオデュッセイアらがトロイア戦争の帰還途中トラキアを襲ったとある。また紀元前485〜420年頃の古代ギリシャ歴史家ヘロドトスの『歴史』に、トラキア人の奇習(火葬、子売りなど)が書かれている。
8〜10世紀頃、ブルガール人に支配されてブルガリア人となった。


これは発掘された本物で保存のため立ち入り禁止。


これはオスマン朝のレンガの建物。これも古い。

隣のレプリカに入場

1回に4人づつ入場。狭い。
鮮やかな壁画が残っているのだね。


天井

側面

入口

入口手前の小さな受付に展示されている発掘品。本物


ワインを入れたりする壺のようなものは、先史時代からよくあるようだね。


装飾品。


墓の図形。

 

薔薇博物館


中庭の見事な薔薇、これは鑑賞用ですね。


蒸留された薔薇油かな。のん兵衛としては蒸留酒の作り方と同じだろうと勝手に合点。

薔薇祭りの模様をテレビで上映。

 

 

さて、途中、トラキア人の墳墓と言われる土饅頭の形の盛り土を見ながら、 濃霧の中、シプカ峠


シプカ峠とは、オスマントルコ対ロシアの戦い(1877年〜78年)の激戦区であったところ。オスマントルコ支配下にあったブルガリアはロシアにより独立できた。
小高い石段999段登ったところに「自由の碑」があるのだが、霧で見えなかった。各国の国旗が翻っていた。

 

峠を下り、ケチとユーモアで有名なガブロヴォの街をかすめ、アルバナシ村へ

 

アルバナシ村
多くの古い家が保存されていて、うち36軒の屋敷が国の文化財に指定されている。

村で一番美しいとされるコンスタンツァリエフの家。オスマン朝時代の富裕層。確か商家を見学。

内部、出産の間。

 

生誕教会
オスマントルコ支配のため、目立たないように半地下に建てられた。
見事なフレスコ画で壁が埋め尽くされている。撮影禁止。ここだけでなく殆どの教会が壁に宗教画を埋め尽くして描いてあるのは殆どの民は文字が読めなかったためだ。文字で読むよりは余程美しく説得力がある。イコンも然り。

 

ヴェリコ・タルノヴォ

1187年〜1393年、第二次ブルガリア帝国時代に首都であった古都。
この近くの村で琴欧州が生まれた。

王宮のあったツァレヴェッツの丘を手前から望む。


旧王宮


民の屋並。

一方、現街中方面。


土産物屋やその工房が並ぶ職人町を散歩しながら、宿へ。


薔薇が綺麗だ。

 

このホテルに宿泊

王宮につながるヤントラ渓谷側の部屋。
中央に何か勝利に関わるか、モニュメントがある。
すぐ側をヤントラ川が流れている。



朝、薔薇の畑でバッグいっぱいにもらったダマスクローズを広げる。
乾燥させないと日本に持ち込みは無理でしょうから。
以降、どの宿所でも広げて、部屋全体に贅沢にも薔薇の香りをただよわせたのでした!

明日はルーマニアへ。

 

 

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