ブルガリア・ルーマニアの旅

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7日目 5/29 晴れ 18℃

シナイアへ

ブカレストから国道を北上すること2時間。リゾート地のシナイアへ。

 

途中、工業都市ブロイエシュティ近くの石油コンビナートを過ぎて、ガソリンスタンドで小休止。

 

シナイアに着いたようです。

シナイアはカルパチア山脈の山間に位置する街18世紀にはブカレストの王侯貴族の別荘として栄え、今でも宮殿風の館が並ぶ。夏は避暑地、冬はスキーリゾートとしてにぎわう

 

シナイア僧院

17世紀にワラキア公カンタクジノがこの地を訪れたのを記念して建立された。
教会や僧坊などの建物が複合して建てられている。

門を入ってすぐには1846年に初代ルーマニア国王となったカール1世が建てた教会

入口や内部の壁天井に、聖母マリアの昇天の様子やキリストのフレスコ画が見事に施されている。


左側の門をくぐっていくと、古い教会や僧坊がある。
シナイアという名称は、カンタクジノがエジプトのシナイ山詣をした後にここに教会を寄進したため

僧坊


新旧の教会堂。



外は、別荘地なので瀟洒な建物が多い。


これはレストランか。

 

さらにバスで丘を上がり、ペレシュ城

着いて徒歩でしっかり下ります。
先ず、2代国王フェルディナンド1世の夏の離宮ぺリショール城を通過。


これは従者(貴族)の館。

これがぺリショール城。
木組みの建築が見事。

 


次にこれがペレシュ城

先ず、城址公園入口とでも言おうか。


ルーマニア初代国王カール1世が私費を投じて作らせた。
流石、ドイツホーエンツォレルン家の貴公子は乞われてルーマニア国王になっただけあり太っ腹だ。


カール1世に負けじと、城のテラスでパチリッ。


カール1世像。


これも、従者(貴族)の館。

 

さて、
シナイアを出て、スキーリゾート地を過ぎ、アズカの町へ
丘の上に十字架が建っていたが見えないな。

ワインセラー見学兼昼食

 

 

昼食後は、ブラン

ブラン城

ドラキュラ伯爵ゆかりの城として有名だが、それは……。
ルーマニア第二の都市ブラショフの南西30kmにあるブラン村の山上に建つ中世の城砦
かつては関所として使われていた。
歴史上は、1377年にある文献にブラン城の名が出てくる。正に古城である。
14世紀末、ヴラド1世はここを居城としていた。
ヴラド2世は、ドラクル公と呼ばれた。ドラゴン騎士団に属していたため。
その子ヴラド3世が、ヴラド・ツェペシュ通称串刺し公である。愛称は「ドラキュラ」ドラクル公の子という意味であり、小龍公ともいわれる。彼が小説『吸血鬼ドラキュラ』のモデルとされた。
1513年、ブラショフ市が所有権を持つ。
1920年、フェルディナンド1世の王妃マリアに、1918年12月のルーマニア統一の実現に貢献してくれた感謝としてブラショフ市がブラン城を寄進した。


18世紀末から19世紀始めのブラン地方の写真(?) 山上にブラン城。


現在のブラン城。

城に向かいます。入城制限。
多くの中学生が見学に。学制は、四・四・四制つまり小・中・高校それぞれ四年制。何処に行っても生徒たちの見学に出会う。

こうした山の中です。


昔厨房だった。現在はレストラン。


内部。

内部は王妃マリアの手が加えられ、ルーマニアの地方色豊かな調度品、家具、などで整えられている。

14〜15世紀にあったワラキア公国のヴラト3世。よく目にする「ドラキュラ伯爵」の肖像画。
ワラキア支配を目論むオスマントルコ朝の使者や兵士を生きたまま串刺し刑にしたため、串刺し公と愛称される。ヴラド・ツェペシュと表記されるが、ツェペシュとはルーマニア語で串刺しにする者の意。

内から外を望む。


中庭で憩う観光客。

また内部。

 

 

 

城の外にでてきました。

* ブラム・ストーカー著小説『吸血鬼ドラキュラ』のモデルとなった串刺し公ヴラド3世はここにたまにきたことがあるといわれている。14世紀、彼の祖父ヴラド1世はこの城を所有していた。孫にも受け継がれたのだ。

お土産物屋やお化け屋敷で賑わう城の前の通りで、ドラキュラ模様のTシャツを買ったり、燻製チーズを買ったりと暫くぶらぶら歩いて楽しむ。

 

ブラショフへ

郊外のホテルが今日の宿舎。かなり郊外です。

 

ホテルの窓からホテルの裏側を

 

 

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