ブルガリア・ルーマニアの旅

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8日目 5/30 晴れ 24℃

一日トランシルヴァニア観光。

まずは、ブラショフの中心地で

聖ニコラエ教会の前にある統一広場にある戦士の像(右端)。



聖ニコラエ教会

ルーマニア正教会である
14世紀に遡るもの。


参道


教会内は撮影禁止。外壁のフラスコ画が素晴らしい。

教会敷地内にある、ルーマニア人のための最初の学校
1760年に建てられた。

 

これは現在の教師育成のための高校、だったかな。
ガイドさんのお母さんが卒業したところ。あるいは、ガイドさん自身の母校だったかな。ガイドさんはブラショフ出身。

これはの学校の教師の宿舎、だったかな。

 

エカテリーナ門。
かつて、ドイツ人とルーマニア人の居住地区を分ける門だった。1559年に建てられた。
城のようにかわいい。が、実はここで裁判が行われ処刑した建物
城のような屋根に各角に4本の塔があるのは、それができることを表していた。

 

黒の教会

1869年、ハプスブルグ軍に攻略され外壁が燃えてしまって、煤けて黒かったが、現在は修復されて黒くない。
内には、ルーマニア最大のパイプオルガンがある。トルコ・アナトリア各地から寄進された高価なトルコ絨毯が数多くかかっている。
現在はルター派教会。


1498年〜とあるのだが、手に本をもっている。
たしか、ルーマニア語で始めて聖書を書いた(?)学者か。?

 

スケイ門。

ドイツ人とルーマニア人の居住区を分ける門。こちらは1825年に建てられた。
スケイ地区は、ドイツ人が先に住んでいたルーマニア人を移住させてドイツ人だけの居住区をとした。
兎に角我々日本人には想像もつかない民族、人種の戦いや融和があったのだ。多分世界各地がそうであろう。日本だけは特別にほとんど少ない。沖縄、アイヌ、クマソの問題はあるが。
米国など、それらの争いから逃れてきた移民たちが、先住民のアパッチ族など押しのけて、作りあがってきた国なのに、現在イスラム教排斥が強まり黒人など有色人種への差別・迫害もつづいている。


旧ドイツ人地区にはいった。

世界一狭い通り。幅1〜1.5m、長さ86m)を歩く。


ユダヤ教会、シナゴーグかな。

 

スファトウルイ広場

旧市街地の中心。


中央にある旧市庁舎、現歴史博物館


近くのトゥンパ山。標高865m。頂上までケーブルカーが行っている。屋根肌にBRESOVとある。


反対側の通り。


ギリシャ正教会

 

シギショアラへ

ザクセン人の集落だった建物群やホップ畑、サスキズ要塞教会群などを見ながら。

シギショアラ歴史地区。

ドラキュラの生家

父ドラクルがワラキア大公の座を追われて身を寄せていたところ。
現在はレストランになっている。Casa Vlad Dracul (ドラキュラの家) と表札が。
ここでランチ。メニューは血のスープとドラキュラの心臓。さて、どんな料理でしょうか。現オーナーも楽しんでいるのかな。お化け屋敷ならぬお化け部屋など設え有料で見せている。


奥に見える時計塔に昼食後に登ろっと。


だから、竜の紋章というか看板。

市役所か。

市役所の横に建つヴラド・ツェペシュ像


学生階段
突き当りが入口。



教育熱心な奇特家が学生が極寒の中でも上にある山上学校まで行けるようにと作ったそうな。

 

学生階段は止めて、時計塔に登る。

そして、街を一望に。


これは何処だ。多分裏側。


裏側の屋並。


からくり人形。


見事な屋並。

屋上をぐるりと回る。
手すりに地球各方面への方角と距離が書いてあるパネルがあり、「東京まで8890km」を発見。


裏に川が流れているな。

中央広場方向。

手前の黄色の建物がドラキュラさんの生家。

山上教会が丘の上に。
あそこまで行くには学生階段を上らなければ。
確か、女子のための屋根付き道路というか階段も近くにあった

街全体図。

仕立て屋の門

 

 

トランシルヴァニアの要塞教会群

さて、来た道を戻り、

その一つサスギス要塞教会を見学。

教会のある前の通り。

サスギス教会
この村では丘の上にも要塞がある。非常時は丘の上の要塞に女子は避難。男子はここに身を潜めて敵に備えた。
この鐘楼は、午前中に観たシギショアラの時計塔と同じ建築家によるので、よく似ている。


修復中の屋根裏に上る。

この地は、当時この地を支配していたハンガリー国王の招きで殖産興業のため入植した現ドイツ・ザクセン地方の人々が今もここに暮らす。

 

 

さて、

ブラショフに戻る。

 

スファトゥルイ広場



6月1日は子供の日で休日。それに先駆けて、子供たち向けの催しが繰り広げられていた。
ルーマニアでは、空前のけん玉流行り。その大会もあったとか。
これは、子供たち、多分小学生がステージで真剣にプリスリーの歌とリズムでダンスを披露している。懐かしく、可愛く、こちらもつい腰を振っていた。

レストラン・ガラ・ドゥルセ
皆で最後の夕食会。5/30日が誕生日の人が3人もいて、添乗さんは見過ごせなかったのでしょう。誕生祝いが盛り上がった。

 

ルーマニアが誇る美容クリーム、ジェロヴィタールの店。
日本で販売されているが、かなりの高価だとか。
何も知らなかったが、つい釣られて、私も昼夜用クリームをゲット。知らなかったなー。
グレース・ケリー(彼女は故人だが)などハリウッド俳優も多く使っているとか。ネットで調べてきた人もいて、何個も買い占めていた。

 

 

さて、明日は飛行機に乗り帰路に就くので、荷物詰めを丹念に。
かなり重くなっているな。いろいろと整理して、自分で持ち上げられる重さにした。(翌朝、測りを持ってきている人に測ってもらったら18kgだった。楽勝。23kgまでが可。
と、そうこうしていると、添乗さんが、ノック。「お誕生日祝い前後賞でーす」と。まぁうれしい!! 可愛いルーマニアのお土産です。ほんとにうれしかった。帰国の元気が出てきたぞー。

 

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