6日目

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モロッコの旅

6日目 2016年04月25日(月)

早朝、サハラ砂漠をラクダに揺られて(しがみついて)ご来光を拝む。

砂丘の入り口メルズーカ

先ずは4時ロビーに集合、砂嵐に備えてターバンを巻き完全武装し、未明暗闇の中、四輪駆動で1時間ほど突っ走り、ラクダ隊の基地メルズーカに。
メルズーカからのサハラ砂漠は、シェビ大砂丘



サハラ砂漠

ラクダに揺られて30分ほど。
サハラ砂漠のほんの発端を掠めただけだ。この先はアルジェリアとなる。
「サハラ」とはアラビア語で荒れ果てた土地を意味する。サハラ砂漠はアフリカ大陸の3分の1を占めるほど広い。


正に月の沙漠を遙々と! だ。 先導はベルベル人。
乗馬はしていた。馬の方がよほど楽。手綱もあるし鐙もあるし。ラクダは乗り降り時が怖い。後ろ足を立てて立ち、前足を折って座るから、手前の小さな取っ手につかまっていても振り落ちそう。道中もゆらゆらと怖い。乗馬の方がらくだ、なんてね。



3、40分揺られて日の出鑑賞地に着く。


明るくなってきた。ラクダさんたちは一休み。

砂丘でのご来光。

来た道を帰ります。
砂丘の砂はオレンジ色砂紋が神秘的で静寂の世界。人間がとても小さく見える
戦前、郵便飛行機航路開発パイロットだったサン・テグジュペリは、このサハラ砂漠に不時着し3日間だかベルベル人(不帰順族)に襲われ殺されるのを恐れつつ救助を待った等の経験から、『夜間飛行』、『人間の土地』、『星の王子さま』など人間と地球の存在の本質や優しさなど詠った名著を残した。

四輪駆動で道なき道を突っ走ってきた、先に見える黒っぽい小石や小岩の原っぱ、これも砂漠という。

小さな赤いさらさらとした砂漠の砂。カメラ、携帯など精密機械に何時しか入っていて、カメラが帰国後不調になることが多く、しっかりとジップロックなどに入れておいて欲しいとの添乗さんからの厳重注意。ジップロックからの撮影となる。
ラクダから降り見晴らしのいい高い丘に登ろうとするが、足が深くのめり込んでしまい重くて難しい。ベルベルさんの手助けでようやく上がれた。靴の中に入った砂は四輪駆動に乗る前きれいに落としたはずが、何時までもさらさらとどこかに残り、帰国後スーツケースを開けたら赤いきれいな砂が少しづつ角にあった。

エルフードの宿に帰還。

これが泊まっていたホテル。

着替えて、ワルザザードへ。カスバが多く現存するカスバ街道を通っての5時間のドライブ出発
カスバ街道は、昔、砂漠からマラケシュへのラクダによる通商隊(キャラバン)の道だった。



カスバ街道を征く。

途中、沿道沿いにパイプがたくさん置かれていた。
地下水道の敷設工事中らしい。

地下水道の汲み揚げ場


ティネリール
広いオアシスの町。日干しレンガで建てられているカスバの景観が見事。

 

沿道に大きく広がる岩山の景色。地層の古さ、3億年の歴史を刻んでいる。


トドラ渓谷


この観光バスが我らが供。バスの前で話している3人が我らが命綱。スーツ姿が運転手さん、黄色の民族衣装ジュラバ姿の男性がガイドさん、紺のジュラバ姿の女性が日本からの添乗員さん。


昼食のレストラン、カスバ風だ。

 

ワルザザードに近づく。
意外にもモロッコは名画のロケ地であった。ワルザザード付近には巨大な映画撮影所もある。映画ファンとしては驚きの発見だ。
「アラビアのロレンス」「シェルタリング・スカイ」「グラディエーター」「サハラに舞う羽根」「バベル」などなど。「イングリッシュ・ペイシェント」もそうかもしれない。中でもわたしは「シェルタリング・スカイ」で砂漠の民に入り込む西欧女性に惹かれたのだが、この地を訪れて納得した。

タウリルトカスバ
17世紀豪族が所有していたクサール。クサールとはカスバが集合住宅になっているもの。カスバは戸建て。
20世紀にはマラケシュの司令官が住んでいた。
映画「シェルタリング・スカイ」の撮影スポット。


タウリルトカスバ


映画博物館だったかな?

並びのカスバの遠方にダム湖か。

 

ワルザザード到着
ホテル到着。


オアシス風の中庭で憩いの一時。

 

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