3日目 (11.06.20)

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ロシアの旅 7日間


ピョートル大帝の夏の宮殿
庭園散策

サンクト・ペテルブルグから南西約30km、フィンランド湾に面したところにペテルゴーフはある。
北方戦争(スウェーデンとの闘い)に勝利したピョートル大帝は、強国ロシアに相応しい宮殿をとの野望に燃えて建設。
彼の死1725年の2年前に完成した。
海から段々にテラス状に高くなる地形を生かして、水を活かして滝、噴水の仕掛け見事な庭園
これらの噴水はポンプなどは一切使わず自然の地の高低差を利用している。
22m先の水源から水を上の公園まで引き、そこからパイプで16m下に水が落ちていく仕掛け。1721年には完成している。

大宮殿も見事であるが、今回は見学無し。
私は以前に来た時に観ている。
エカテリーナ宮殿に劣らずそれは絢爛豪華である。

身の丈204cmの大男ピョートル大帝は、質実剛健というか実はたいへんな変わり者で、自分は丸太小屋暮らしが好きであった。
そして娶ったエカテリーナ1世は、実は洗濯女で醜女で大酒飲みであった。

ペテルゴーフは、第二次大戦時にナチス・ドイツ軍に破壊されたが、現在は修復されている。

 

ペテルゴーフに到着です。
教会が見事ですねー。
この教会が、迷子になった時の目印でそこで救出隊を待ちます!


大宮殿


広大なペテルゴーフの見取り図
これでは迷子になりますわ。


朝10時。
大宮殿の正面方向です。
まだ大滝も噴水も出ていないので、ちょっと寂しいですね。


ライラック。
日本にとっては桜のように、ロシアの花だそう。


ケシの花の大きなこと。
アイリスの花も多く見かけた。


すずめが昨夜の雨の水たまりで水浴。
リスも多いと聞いたが出なかった。
折角ツアーメイトの一人のおじさんがリスの餌のひまわりの種を前日用意してみんなにくれたのだが。


レストラン。
昔は温室だったそう。
今日のランチの会場です。


その前の噴水。
まだ時間でないのでいくら口を開けても水は出ませーんね。

噴水は150もある。


花々も大らかで清々しい。


ローマの噴水。
水が出てきたようです。


チェスの山の滝はまだ。


広大な庭園です。


これも噴水。


鬱蒼とした原生林も。


ピラミッドの噴水。


傘の噴水。
中に入ると水で囲まれます。
ガイドのセルゲイさんが試してくれました。
彼は日本語が上手で勉強家で人柄もよく、実にいいガイドさんでした。
奥さんは日本人で彼は日本とロシアと年に半々づつ暮らし仕事をしているそうだ。
彼のホームページです。見てやって下さい。
バス内でのガイド中は、何でも聞いて下さいと質問を促す。
問わず語りにソ連時代の話しをしてくれた。小学生くらいまで子供の頃だ。アパートにトイレ、台所が1箇所の時代。でも隣近所の大人達がとても親切だったこと。今では経済的には豊かになったが、みな自分のことだけしか考えていない、と。そして、KGBの怖かったことも。

さて、


これも噴水。


ピョートル大帝像。


太陽の噴水。


この噴水の台は収穫を現わしていて藁の束を形どっています。


この噴水は後ろのベンチに座ろうとうっかり石畳を踏むと、一面噴水が上がりずぶ濡れというもの。
健気にも添乗さんが試してくれました!
実は後ろで休んでいる風のおじさんが操作しているのでは?


フィンランド湾にでました。
向こうに見えるのは船着き場。
エルミタージュ美術館前から出航しているフェリーだとここまで30分くらいで着きます。
以前来た時はそのフェリーで来て、大宮殿までの歩道を歩きました。

赤い館はモン・プレジール(お気に入り)宮殿
最も初期に建設された。
ピョートル大帝はフインランド湾の見渡せるこの館にいることを最も好んだ。


お金を供えて足に触ると大金持ちになるという像。


エカテリーナ棟。

大宮殿と大滝、船着き場を繋いでいる運河
昔はここを舟で大宮殿まで行ったそうだ。


大宮殿前まできました。



その前に…、また面白い噴水です。
寓話で4羽の鴨を犬が追いかけています。

大滝とその前のサムソンの噴水


宮殿のテラスを利用し、水は階段を下って運河に下る。
37体の金箔の銅像、64の噴水、142の水の噴き出し口がある。
大滝の奥に洞窟が作られている。


サムソン像。
1734年に、対スウェーデン戦勝利25周年記念に作られた。
サムソンがライオンの口をこじ開けている。ライオンはスウェーデン国旗に描かれている!


これはなんだ?


大宮殿のテラスからサムソン噴水、そしてフィンランド湾に通ずる運河を見下ろす。
この両脇一帯が庭園!


テラスから右側を見る。


テラスから左側を振り返る。


大宮殿。


もう一度見下ろす。

集合場所に帰ってきました。
噴水がでているようです。

 

午後はサンクト・ペテルブルグの市内観光です。

市内まで戻ります。
途中、広大な敷地、公園をもつ宮殿がありました。
これは、多分、パブロフスク宮殿
この辺りは皇室の狩場だった。
1876年、エカテリーナ2世は、長男誕生のお祝いに息子パーヴェル皇太子にこのパブロフスク宮殿を建てて贈った


正面。
前の道路を走りながら、バスからパチリ。


延々フェンスが続きます。


道路の脇を走る電車。


レーニン(?)時代に建てられたアパート群。
手前は24時間営業のショッピング・モールのようなもの。


大手武器メーカー(?)。


これはなに門かな。


これも何かな。


これは最古の石橋かな。


マリンスキー劇場

マリインスキー劇場の向かいの劇場広場に建つリムスキー・コルサコフ像。
オペラ「皇帝の花嫁」や「サルタン王物語り」などの著名な作曲家。

 

イサク聖堂

帝政ロシアのシンボルとして1858年建設。
最初は木造の小さな教会が1710年、この地にピョートル大帝によって建てられた
大帝の誕生日が5月30日でその日の聖人はイサクだったためこの名がつけられた。
現在の聖堂は4代目。1万4千人収容可。
脆弱なこの地に建てる為、3代目の教会の下にあった1万3千本の杭の他にさらに1万本の杭を打ち込み、その上に花崗岩や石灰岩を敷き詰めている。
内部の装飾はモザイクで壁画が描かれ、大理石や孔雀石もふんだんに使われている。
ロシア正教会であるから、中央に十字架ではなくイコノスタスが掲げられている。


ファサード上部。


入り口の彫刻。


内部


入り口に四方合わせて48本の円柱が建つが、1本の重さ114t。
それらを建てた装置の模型。


鳥かごのような天井ドームの模型。


正面にステンドグラスの「キリストの復活」、まわりにイコノスタス。


4代の教会の移り変わりの模型。


天井に聖霊をあらわす鳩。


聖母とキリスト。
このキリストの表情は大人

 

ストリェールカ
ヴァシリエフスキー島の岬
エルミタージュ美術館からの宮殿橋を渡れば突き当たり。


ネヴァ川の向こうにエルミタージュ美術館。


ペトロパブロフスク要塞を眺める。

ロストラの燈台柱
1810年に建てられた高さ32mの燈台。2基ある。
ロストラとは船首の意。
古代ローマの、敵軍の船首を切り取り勝利の祝いに柱の飾りにした習慣を模した。
そう言えば、船首が多く飾られている。
そして、台座の5mの彫像はロシアの4大大河、ヴォルホフ、ネヴァ、ドニエプル、ヴォルガを表わしている。

 

血の上の救世主教会

1907年完成の比較的新しい教会
1881年、皇帝アレクサンドル2世が暗殺された場所に、後継者アレクサンドル3世が建てた
アレクサンドル2世は、父で前帝ニコライ1世のクリミア戦争敗北後の処理に務め、ロシアの後進性を克服すべく改革に着手し、1861年には農奴解放令を出した。が、1881年急進派テロ組織「人民の意志」により暗殺された。

これだけ美しい教会もソ連時代には倉庫として粗末に扱われた


内外装とも豪華なモザイクで飾られている。
外壁は宗教画の他、ロシアの144の町、地域の紋章も描かれている。


内部
ここが暗殺された地。
運河にせり出して作られている。

 


全てモザイク画。見事!


外に出て側を流れるグリボエードフ運河を見る。


教会は運河にせり出している。

 

オーロラ・パレスにて、「バレエ白鳥の湖」を観る。
オーロラ・パレスとは巡洋艦オーロラの対岸にあるためにつけられている名称。
 * 海外のオペラ等がこのところ日本公演をキャンセルしているため、本場でチャイコフスキーの白鳥の湖を観ることをオプションで選択した。流石に最高の美しさでした。

 

 


劇場の対岸の大ネヴァ川入り口に巡洋艦オーロラが停泊している。
「オーロラ」は1900年建造。1905年の日本海海戦で日本軍の砲撃を舷側に受けた。
1917年、ロシア革命(10月革命)の始まりの合図を冬宮(現エルミタージュ美術館)に向け発砲した。

皇帝達や女帝たち、貴族たちの豪華で華麗な宮殿を観てきたわけだが、国民の9割以上の食うや食わずの農奴たちの暮らし・労働は、とうてい人間とは言えないほどの過酷なものだったろう。
科学や思想、そして政治の近代化・大衆化がヨーロッパ諸国に遅れて入ってきたロシアでは、レーニンらの共産革命は歴史の必然だったのだろう。


白夜の街にでてきました。


ネフスキー大通り。
これで夜の11時です!

 

3晩連続の11時過ぎホテルに帰還です。
白夜は1日が長ーいですね。

明朝は早朝チェック・アウト。頑張ろっーと。

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