トルコの旅 10日間

第6日目 パムッカレ、エフェソス

パムッカレ

パムッカレとは、トルコ語で「綿の城」の意。

炭酸カルシウムが堆積して白い棚田のような綿の花が積っているように見えるから。

この地方は実際に綿の産地でもあり、トルコ綿の原料の綿花畑が広がってもいる。

 

<パムッカレ石灰棚>

世界遺産に登録されている。

数千年にわたって流れ続けた鉱泉が、白い石灰華の岩棚、段々畑のように連なる天然の造形美をかたち造った。

石灰棚の厚さは300mになる。

素足になって入る。

温泉ホテルからの鉱泉(使用前?)が流れている。これは温か。

石灰棚の厚さは300mにも及ぶ。

とくかく足の裏が痛い。いいマッサージである。

以前は石灰テラスに水着で入浴できたらしいが、現在は出来ない。

まさに石灰華である。

 

<ヒエラポリス>

石灰棚の背後丘陵地帯に点在する古代都市の遺跡の一つ。

地名は伝説上の開祖テレフォスの妻ヒエラに由来するという。

ベルガモン王が、紀元前190年頃その功績によりこの地をローマ皇帝から贈られた。

その後17年の大地震で崩壊。

数世紀をかけて復興し、人口10万人の大都市となる。

14世紀の大地震で壊滅

世界遺産の標。

そこここに深紅のひなげし、麦などが自生している。

 

ネクロポリス

つまり墓地である。これは大きな墓。豪商の墓であったろう。

パムッカレは、温泉の出るいわば保養地であった

しかし、ここまで来ることの出来る人は、病に冒され最後の頼みで来たらしい。そして、ここで死んでいった。

数キロにわたる広大な墓地で、1000以上の墓が発掘されている。

病院の址。

この病院が頼みの綱。

糸杉は墓場のしるし。ここにお墓があった。病院とお墓が直結!

 

ローマ門

 3つのアーチと両側に大理石の搭があった。

 ヒエラポリスの目抜き通り、アルカディア通りの北門。

ローマ門を入って直ぐの左側に水洗トイレ址

神殿址。

アゴラ(広場)址。

 

 

パムッカレから、エーゲ海沿岸エフェソス遺跡観光の拠点となるセルジック市に向けて、西に向かってまた3時間の旅。

シリンジェ

途中、シリンジェという小さな田舎町で昼食。

ここはもうエーゲ海に程近い。セルジック市郊外。が、とにかく山また山。ぶどう畑が続く。

山の頂上にある空気のきれいなワイナリー兼レストラン。

この付近に聖母マリアの家があるという。

試飲したワインが美味しかった。

マリアさまを守ったワインということで、お土産に一本買う。

 

<聖母マリアの家>

セルジック郊外のブルブル山の上にある。

聖母マリアは、イエスの死後聖ヨハネと共にこの地のキリスト教徒たちに匿われ、余生を送ったとされる。

現在では、キリスト教徒の聖地とされている。

入り口、駐車場。

参道にある小さなマリア像。

洗礼の浴場。

聖母マリアの家の跡に建てられた小さな教会。

下の側道に願掛けの壁(?)

辺りいったい。

 

エフェソス

セルジックから直ぐのところ。

途中、山間からエーゲ海が美しく望めた。

 

<エフェソス都市遺跡>

地中海文明の中でも最も重要な都市遺跡

紀元前11世紀にイオニア人が現在のエフェソス近くに都市国家を建設。

当時はエーゲ海沿いに開けた良港だったが、紀元前287年その港が土砂崩れで埋まってしまったため、現在遺跡のある地に遷都した。

紀元前2世紀にはローマ帝国の属領となり、帝国有数の都市として栄える。

紀元前33年、クレオパトラはアントニウスを助けるために200艘の船でこの地に上陸した。

遺跡の北入り口

 

アゴラの址

ひなげしが生い茂っている。

当時の下水道管

下水道設備が完備していた。

石で舗装された道路。

当時から滑り止めの小さな穴が彫られていた。

 

道路を挟んで反対側に、オデオン(小音楽堂)がある。1400人収容、会議にも使われた。

これは何だったかナ。石に刻まれた像。羊の頭を撫でる若き英雄!

 

ポリオの泉のゲート。

貯水槽から、トロイ戦争のオデッセイとポセンドンの息子の活躍を題材にした彫刻が発見された。

この彫刻も、何だったかナ。何かニンフのような…。ニケ(勝利の女神)かナ。

大きな無花果の木が多い。

 

クレティア通り

両側に神殿や家々が並んでいた。

 

ヘラクレスの門

 

トラヤヌスの泉。2世紀はじめ皇帝トラヤヌスに捧げられた。

 

家のエントランスのモザイク模様。

家並。夫々の入り口。

後ろに続く家並。

 

ハドリアヌス神殿

裕福な市民クインティリウスがハドリアヌス帝に献上した神殿。

2つのアーチ頂上には、市の女神ティケ(前)とメドゥーサ(後)が彫られている。

 

公衆トイレ

1世紀に造られた水洗トイレ。

 

セルスス図書館

この辺りは、いわば町の中心。

この図書館は、117年に完成。統治者セルススを偲んで息子ティベリウスが建てた。1万冊を超える蔵書を誇り、当時世界一といわれたアレクサンドリアの図書館と肩を並べていた

263年のゴート族襲撃により焼失。

 

マセウスとミトリダテスの門

アウグストスの奴隷だった両名が、開放され経済的成功の後3世紀に皇帝一族に寄進した。

図書館と商業アゴラの間にある。

立小便禁止とラテン語で書かれている!

 

商業アゴラの壁

 

大理石通り。商業アゴラの脇の道。

 

大理石通りの一つの石に刻まれた、ある標。今で言う看板。

足のサイズはこれ以下はダメ、つまり子供はダメ、向きは方向、つま先の先に十字があり十字路を示す、女の姿は娼婦、ハート型はこころを示している。娼館への案内図だ。

 

大劇場

収容人数2万5千人。最大級の古代劇場。

紀元前3世紀に完成。

現在もコンサートなどに使われている。

階段の側は、ライオンの足、だったかな、象さんのようにもみえますネ。

 

アルカディアン通り

大劇場から港へと続く。

クレオパトラとアントニウスがそぞろ歩いた道。

港があった真っ直ぐこの先までの道は、歴史の波に飲み込まれたままで、まだ発掘されていない。

両側に円柱らしきものが朽ち果てずに佇んでいる。

現在は途中で右折して、現実社会に入る。

 

イズミール

今夜の宿泊地イズミールへ向けて、1時間のバス北上の旅。

イズミールは、その昔スミルナといい、あのホメロスの生まれた地である。

エーゲ海に面した港町。

トルコ第3の都市

紀元前10世紀にイオニア人が開いた貿易港。

ホテルの前の通りから、エーゲ海イズミール湾を望む。

 

[第5日目]← →[第7日目]

NewChibaProject