遠足編・能登の旅、その2

こころをスローにすること実行委員会

前回は初夏でしたが、2度目の能登は秋を企画しました。
今年の3月に起きた大地震の被害がまだ生々しく残っていて、単なる物見遊山では申し訳ない気持ちにもなりました。
道路には、「頑張っています、能登」との標語が多く掲げられていました。

ベースキャンプ 輪島市門前町まんだら村

期間       10月25日(木)から10月28日(日)
           3泊4日

参加者      延べ スローのメンバー6名、その奥方1名。
              迎えて下さった能登市の方々7名。
              三重県津市から来られてエスコートして下さった方1名。
              千葉県浦安市から来られてお世話して下さった方1名。

1日目(07.10.25)

先ず3名が午後の飛行機で能登空港に向かいました。
空の便は羽田・能登往復2便です。

飛行時間40分。
あっという間に能登でした。


冠雪した山々が見えたので、スチュワーデスさんに何処ら上空か聞くと、「山がたくさんありますね。どこでしょうかね」とにこにこしている。「そろそろ着陸体勢にはいります。地図がありますよ」と座席前のポケットを指す。まいったネ。
進行左側で航路からして、乗鞍あたりかな。


富山湾か。


能登半島は緑の森が美しい。

紅葉には少し早いかな。
でも、緑の中に赤や黄色が映えて、それはそれは美しいほっとする景色です。

2〜3日前にチベット旅行から帰国したばかりのメンバーは、能登の、日本の、緑の、自然の、美しさに感激ひとしおでした。
本当に美しい日本がまだ残っていて救われます。
残し、保っていかなければなりませんね。

4時近くになれば、山間の町街は夕暮れてきます。

宿となるのはメンバーの別荘。
市の商工業課の課長さんが若手職員2名を連れてきてくれ、我々の行程予定をチェック、目の前で特別に訪問先に予約の電話を入れてくれたりした。
このメンバーの方は地元にしっかりと溶け込んでいて、もはや「顔」である。
15年近くこの地と親しくされている。

 

2日目(07.10.26)

とにかく雨女がいるもので、律儀にもしっかりと雨が降る。

    紅葉見や
       用意かしこき
          傘二本     (蕪村)

能州紬の織り元「絲藝苑」

輪島市門前町にある。
能州紬とは、上島洋山氏が40年余前より京都西陣からこの地の自然に魅せられて移住、西陣の手すくい織りの技術を定着させたもの。糸は下染めにこの地の海藻を使うのが特徴。そして、それはそれは見事に色鮮やかな紬となります。

30分の予定が、なんの何の。
大幅に時間を費やし、当然お買い上げです!!
織り元ですから、東京での値の5分の1程。
後ろ髪を引かれつつ、次の目的地に向かう。


能登上布会館

鹿島郡中能登町にある。
輪島市門前町から車で1時間半はかかった。
能登半島の付け根近く、富山県に近い。

能登上布は、麻織物として昭和初期には全国一の生産高を誇った。農閑期、家での内職として多くの農家で織られていた。現在はここ能登上布会館と次に訪れる織り元一軒でしか織られていない。
石川県無形文化財指定。
細やかな絣模様が特徴。亀甲、十字、蚊絣(かがすり)、井桁など。



織元 山崎仁一

会館の直ぐ近く、羽咋市(はくいし)下曽祢町にある。
能登上布の織元はここ一軒だけとなった。
それはそれは見事な上布で、織元ならでは、東京の値の3から5分の1。
もちろんお買い上げ。

 

能登の雨、ロングドライブをたんのうできたが、運転手役を引き受けて下さっている方は大くたびれである。
道々、まだ地震のひび割れや補修が続いていた。

上布を織っているところ辺りは山の中で、食事どころは見られず、門前町に戻って町営、今は市営か、の門前町蕎麦の美味しい「そば膳」で遅い昼食をご馳走になる。

我々の通ってきた道を追いかけるようにして、金沢から高速バスでやってきた静岡からのメンバーが5時頃に宿に到着。
ご苦労さまでした!

夕餉の宴には、いわば門前町の町長(今は合併で能登市に加わっている)夫妻や地元の釣りの名手などが見えて大賑わい。
そこへ、千葉県習志野市から車で13時間かかってやってきたメンバー夫妻も加わり、宴が終わることを知らなかったほど。

 

3日目(07.10.27)

今日は旧輪島市に向かいます。
今日も雨。

途中の千枚田を見学。

 

輪島屋本店訪問

創業200年の輪島屋本店は、当主輪島屋善仁の日本漆芸史上最良のものづくりをテーマとし、日本最大の漆の森をもつ。
入り口正面に、5年間使い込んだ漆の器と、5年間仕舞い込んであった漆の器が比較展示されている。
どちらが生き生きと輝いていると思いますか。
使い込んだものです。電子レンジにはかけないで、亀の子たわしやクレンザーは避けて、洗剤で洗って、日常使うほうが生きてくるのだそうです。
漆は英語ではジャパンです。
日本人の生活のアートですね、漆は。

輪島屋善仁「塗師(ぬし)の家」拝見

こちらは非公開なのですが、特別に拝見させていただきました。
古い塗師の町家を改造、内壁、廊下、天井、その他全て漆塗り。
漆塗りに囲まれていると、不思議とこころがおだやかに和み、明るく、落ち着くものである。

 

重要文化財時国家(通称下時国家の方)
能登市町野町西時国にある。

源平合戦に敗れ、平家生存者最高重鎮の平大納言時忠は1185年、源義経により能登に配流された。
その子時国はその地で時国村を興す。
1634年、十三代藤左衛門時保は家をニ家に分立し、当人は加賀藩領に居を定めた。
この下時国家はその加賀藩領の時国家である。
(隣接して上時国家がある。)
下時国家は江戸時代を通して山廻り役、御塩懸相見役、御塩方吟味人役など藩の役職を受け継ぎ、農業、塩業、回船業などを営んでいた。
現在は二十四代である。

私たちは上時国家と下時国家と半々に分かれて見学。
ここに記しているのは下時国家のこと。


門の入り口


邸宅
木造平屋建て、萱葺入母屋造り。
間口十三間、奥行き八間、総面積108坪

実は、2、3年前に大々的な修復作業が完了。元の姿に復元した矢先に、今年の3月の大地震で壁などにひびが入った。
その補修のためにいたるところ幕が張られていた。


大戸口


馬屋


大戸口を入ると40坪の土間があり、一尺五寸角の太い大黒柱が。


土間から下段の間が見える。


大広間が見える。
この土間で納められた年貢米や塩の吟味などをおこなった。


大広間を囲むように土間の奥。


巨大な梁組み。


大広間の囲炉裏。
松を燃していた。


囲炉裏に上の巨大な自在鍵


改修して、昔の姿に戻した。
天井の屋根組みがよく見える。


中段の間。
琵琶が平家には似合う。


式台玄関

庭園は2000坪。
自然の地形を生かした回遊式庭園。
800年からの椎の古木が茂る。


庭園に建立された「能登安徳天皇社
平家団結の象徴であられた安徳天皇は、壇ノ浦の合戦で敗れた際御歳八歳で二位の尼に抱かれて御入水。


萱葺屋根


仏間。
神仏一緒の名残


中宮(後の建礼門院)の安産を祈祷して時忠が奉納した水晶の玉。
そして安徳天皇が生まれた。


 

お昼は、能登空港近くの蕎麦処の「夢一輪」で。

能登空港に。
午後の便で東京に帰るメンバーを送る。

宿へご帰還。
地元の海の見える温泉で一休み。

夜はまたまた大宴会。

 

4日目(07.10.28)

名残惜しいが、午前の便でそれぞれ帰りや次の目的地にむけて出発。
たいへんなお世話になり、本当に有難うございました。
お蔭様で楽しい能登の思い出がまたひとつ加わりました。


宿させていただいた別荘の前で。
即パチリとやったら、「あら、早い。もう撮っちゃったの」と喧しい!


では、と撮りなおした。
少しは違うかしらねっと。

 

東京上空は台風一過で見晴らしがいい。
富士山がくっきりと。

 

お世話になりました皆様に改めて感謝申し上げます。

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[完]



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