エネルギー・フォーラム社刊「イーピーレポート」視点欄に連載している最近のエッセイ

カンボジア地雷撤去の旅”(2006年04月11日)

 3月末の5日間、私も会員のNPO「難民を助ける会・AAR」企画で、カンボジアの地雷不発弾撤去・処理や障害者職業訓練のボランティア活動見学に行ってきた。

 70、80年代の内戦やベトナム軍侵略により、世界でも最大の地雷汚染国の一つであるカンボジアは、いまだに不発弾被害も含めて5割の国民が被害の可能性の中で生活している。1日に800人が地雷被害にあっている。

 首都プノンペン郊外の農村に、地雷不発弾の撤去・処理を行う日本のボランティア団体「日本地雷処理を支援する会・JMAS」について実際の撤去・爆破処理を見学した。不発弾や地雷を発見した住民から地元の警察に通報があり、それがCMAC(カンボジア地雷処理センター)やJMASに連絡され、撤去・処理のために、炎天下、現場へ行く。

  農家の庭、田んぼ、竹の根株などから慎重に掘り出され、安全か否か確かめ、その場で処理か、運べるものは爆破処理場へ運び、そこで爆破処理する。同行した日は、午前中に4箇所まわり、1箇所では8個の迫撃弾が埋まっていて、それらを全て1箇所の広い空き地の処理場に運び爆破処理した。リーダーは元陸上自衛隊員で、UNTACで活動した後ここで仕事をしているとのこと。まさに命がけの仕事である。

 爆破処理すると、何処からともなく子供たちが現れて、まだ熱い破片を拾い集めた。金属を売るためだ。金属は高く売れる。3ドルもあれば、家族が一日暮らすことができる。

 AARのプノンペン支所では、地雷はじめポリオなどによる身体障害者の職業訓練・自立支援を見学した。現在32人が入学していて、卒業生は360名。コースは、オートバイ修理、縫製、テレビ・ラジオ組み立ての3つ。それに加えて識字率が高くないため、特に女性は80%が非識字のため、国語教育も行う。職業訓練だけでなく、就職支援、フォローも徒弟制度を取り入れたりで工夫している。

     ポルポト時代の、高校が廃校され拷問所となった各部屋の拷問の痕や、まだ遺骨の出るキリングフィールドの凄まじさは、酷すぎ   た。

 

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