エネルギー・フォーラム社刊「イーピーレポート」視点欄に連載している最近のエッセイ

「国民の司法」を育てる300人委員会”(2006年07月11日)

 先の6月、事務局を(財)社会経済生産性本部、会長に福川伸次氏で、”「国民の司法」を育てる300人委員会”が発足した。はじめの構想は100人会だったが賛同者が増え、300人会となった。さらに発展させる考えで、とりわけこれまで司法へのアクセスが十分でなかった地域を担う自治体関係者、次世代を担う若者、国民の半数を占める女性らなどへの呼びかけを進めていく。

 司法制度は1999年以降改革がすすめられて、多くの新しい立法整備が成されてきた。身近なところで、新設された「法科大学院」からはじめての卒業生数千人が今春生まれ、2009年には国民参加型裁判の「裁判員制度」が開始する。

 そんな中、一方では法の網の目をかいくぐったり、明らかな違法行為による大きな事件が相次ぎ、世の中を騒がせている。コンプライアンス確保が言われる所以である。

 そこで、国民に広く理解され、国民参加型の司法制度を育てる全国的運動を展開すべく、この会がスタートしたのだった。

  私は司法関係の会に参加したのは初めてだったせいもあってか、案に違わず、言葉遣い一つとっても、現社会と司法界との違和感を秘かにもったのだった。それをある人に話したら、「トフラー夫妻が著書の中で、社会変化に対応していく速度比較を、民間企業は時速100km、NPOは90km、官僚機構は25km、政治機構は3km、そして司法機構は1kmといっている」と指摘してくれた。なるほど、やはりそうなのか。

 法律がやたら多くあっても問題だ。統制に偏る。法とは、人間として最低限守らなければならないルールを明文化したものであって、外からがんじがらめに縛るものではならないだろう。ある外国の探偵映画を見ていたら、「法の多い国ほどその国の人間の質は劣るとセネカは言っている」との主役探偵の洒落た台詞があった。なるほど、頷ける。

 先ずは、司法機構の時速1kmの件からなんとかしなければなるまい。

 

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