思想とは何か


吉本髢セ・笠原芳光著
春秋社
1800円+税

今日の代表的思想家二人が2006年1月から6月に「思想」について対談した記録である。

近頃は社会全般に思想性が薄れ、「あの政治家には思想がない」などとよくいわれる。科学開発一辺倒、そして偶然や成り行きでことが運ぶ。そんな今、この対談は考えたり思索することの意味を思い起こさせてくれる。

笠原が問題提起し吉本が応じる。

吉本髢セといえば戦後の全共闘や全学連を支えた硬派の論客。この対談時はすでに足腰や眼が弱って自宅でのぶっつけ本番だったが、彼の勉学博学振り、思索力、記憶力は相変わらず。驚異的ですらある。そして思想とは転向(転入)するものとして、この対談を柔軟に展開している。

笠原は聖書の研究に長ける。思想とは「個人の考えを言葉などで客観的にまとめて表現したもの。精神活動」と捉え、そこから古今東西の思想を談義の切り口に据える。

文学では詩歌、特に俳句、蕪村や子規などがあがり、北村透谷や芥川、太宰ら自殺した作家たちの女性問題を、家庭における男女平等など根本のものの考え方に深くかかわっていると論じるなど、身近な日常性に思想を追う。

宗教や主義は思想そのものであるはずが、それが組織体として整ってくると思想性を失う。吉本得意のマルクス主義も、マルクスの思想はレーニンの体制化によって思想性、精神活動が拘束され失敗したと。ロシア革命以降の文学に優れた作家がうまれていないのがその証。民主主義しかりで、『草の葉』という詩集のあるホイットマンは、すでにアメリカの民主主義が百年も経たないうちに、ただ選挙のため、政治のため、政党のためのものになっていると批判していると。キリスト教しかり。イエスは無名の思想家だったがパウロによりキリスト教に整えられてイエスの教えは思想性が失せたと。親鸞、良寛についても「還りの視線」、「横飛び」、「自己への配慮」、「非知」などを論じている。

未来の思想はどうなるのか。概念の中心はこれまで「神」から「人間」に変わってきた。が今日ヒューマニズムは失効した。グローバリズムがいわれているが…。次の概念の中心は、「自然」かはたまた「ポスト資本主義」か。

[本棚から一冊]

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