夜と霧

ヴィクトール・E・フランクル著
池田香代子訳

みすず書房
1500円+税
 
 原題は『…それでも生にしかりという』所収の「心理学者、強制収容所を体験する」。著者はウィーン大学でフロイトらに師事し精神医学を学ぶが、第二次大戦中ナチが600万人を殺害した強制収容所に収容され、敗戦により奇跡的に生還。その体験を1947年に発刊したのが本著。

 筆舌に尽くしがたい体験を科学者の目で淡々と語る。そして、人間とは何か、生きるとは何かという重く俄かには解明しがたい真髄を、上質な宗教者として悟り、冷静な心理学者の目で分析して一般論に展開している。

 構成は、”第一段階「収容」”、”第二段階「収容所生活」”、”第三段階「収容所から開放されて」”と、飾り気が全くない。被収容者の心の反応を、夥しい観察資料からこの3段階にわけて整理した。

 「収容」では、著者ら1500名が昼夜ぶっとおしの列車でアウシュヴィッツに移送され、最初の淘汰で9割が「入浴施設」へ死の宣告を受け、残りの被収容者は「消毒」と称して身ぐるみ剥ぎ取られ名前も職業もなくただ番号、著者は119104となっていくことを記す。

  「収容所生活」では、感動の消滅、夢、非情、政治と宗教、瞑想、生きる意味などを著者も含めて被収容者たちの言動の観察から記し、監視者の心理をも分析し、この世にはふたつの人間の種族しかいないとする。まともな人間とまともでない人間と。それはどんな集団にも入り込んでいて、純血な集団はないと。監視者の中にもまともな人間は極稀にいたし、被収容者のなかにもまともでない人間はいたと。

 「収容所から開放されて」では、再び人間となってから罹る離人症や精神的潜水病の怖さが分析されている。

 最後の数週間だけ医者として尽くせた精神科医の、精神の昇華と同時に個人的な深い慟哭が聞き取れる。

 日本ではもう第二次世界大戦を記憶している人は人口の1割である。日本で戦争体験が風化してきた中、世界では絶え間なく戦争が続いてきた。大儀ある戦争などない。強制収容所から「いい人」は帰ってこなかった、劣悪になった人間だけが命を繋ぐことができたと、戦場でなくても戦争は地獄であることを諭して余りある。

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