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若者が《社会的弱者》に転落する』(2003年10月3日)

若者が《社会的弱者》に転落する

宮本みち子著
洋泉社新書 七二〇円

 「今の若い者は困ったものだ…」とは、いつの時代にも言われることである。

 ところが現代ほど、特に日本の若者層が社会からスポイルされてしまっていることは、他に例がないと、著者は警告する。次代を背負わねばならない若者たちが、大人になれないでいるのだ。

 経済的にみると、高度経済発展を遂げ、ポスト工業化社会になって、高等教育が大衆化した。この教育が親がかりだった。自由と引き換えに働き尽くした父親が仕送る。高等教育が親がかりなのは日本だけである。学生がアルバイトをするのは、遊ぶための小遣い稼ぎでしかない。そして、出口で就職難にぶつかり、収入は少なく、一人立ちが出来ない。

 心理的にみると、成人とは「社会へ完全に参加した状態」である。しかし、この社会が大きく変わり、親が子に成人への導きができないでいるので、子自身に成人への模索を委ねざるを得ない。「自分志向」が強まっていく所以である。八十年代の若者は“クリスタル族 ” といわれ、「徒らな」、「安易な」、「希薄な」、「受身的な」、「思いつきの」という表現で形容されるライフスタイルに陥ったのである。

 そして、社会は「生産より消費へ」とシフトし、若者、女性、子ども、高齢者が市場のターゲットとなった。ここで、若者は作り手としてでなく、稼げるかどうかではなく、消費者として、購買力として地位を得てしまった。

 現実には購買力の持てない若者が多いわけで、彼らは社会から逃避し、浮遊、ひきこもり、人より物への興味、仕事より遊び、他人より自分、反抗より逃げといった傾向の強い世代層を作っている。

 子どもを一人前にする社会的仕組みが多くあった時代と異なり、現代はもっぱらその役割が親の肩のみに掛けられている。特に母親に。そこでは、子どもを育てることへの強い関心と責任感、それと子どもの意志を尊重する子ども中心主義が衝突するのを避けるため、親子関係が友人関係と化してくる。

 著者は、若者を大人にするための教育力が低下したのは家庭のみでなく、トータルとしてみた社会であると訴える。若者の没落をふせぐために、@教育のコストは本人負担、A学生の仕事を職業に繋げる、B社会に若者を託す・若者が自分を試す時期を持つ、などの具体的仕組みづくりを提案している。これらは欧米社会ではあたり前のことなのである。

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