電気新聞「今週の一冊」欄に載せた最近の書籍紹介

余白の美 酒井田柿右衛門』(2005年12月16日)

十四代酒井田柿右衛門著
集英社新書
798円

 “柿右衛門”という名前は、教科書で習った古い貴重な美術品という、高嶺の花の印象があった。それが、ある機会で有田にある柿右衛門の窯を見学した。それも十四代さんご自身の案内をいただいたのだった。ぐーんと身近になった。

  そんな縁で柿右衛門氏とご一緒することがたまにある。先のある会で、「今朝、窯上げをしたら、窯が壊れてしまった。江戸、明治と代々使い込んで、最新の技術で継ぎ足したものが壊れた。時代を大切に重ねてきたものに、新しいものを継ぎ足すということの難しさを感じている」とのこと。たいへんな事態であろう。含蓄の深い言葉と聞いた。

 その柿右衛門窯や柿右衛門様式について、十四代柿右衛門氏が語るという形で、柔らかく纏められているのが本著である。その語り口が、煙管で煙草を吸いながら、といった風情である。これも、工程上の動作の流れ、間の取り方などと、大いに関連しているらしい。友人の第十五代仁左衛門と煙管を使う間の取り方を話したこともあるそうだ。

 三代で一人前という。それぞれ祖父や父親から学び取る。受け継いでいく。自分ひとりのものではない。柿右衛門はいわば工房であり集団の仕事であって、製土やロクロ、焼くなどの工程毎の職人の手があってはじめて成り立っている。

 「一人前だと思う病気」を憂く。職人には器用や個性は邪魔。上手いとなると、自分の癖が出てそれが直らなくなる。他人に習えなくなる。有田の地に、こうした本物の職人が少なくなり、有田らしさがなくなっていくことを憂いている。有田は優秀なので商人の注文通りに窯を焼いてきた。そのため戦後特に有田らしさがなくなってきた。有田が伝統を取り戻さないと日本の磁器の歴史は途絶えてしまう。大勢の作家がいるというのは違う領分のことで、職人が有田に戻らないと、有田は無くなるとまでも危惧している。

 柿右衛門様式とは、素地の「濁手(にごしで)」、デザインの「余白」、色絵とか彩絵とかいわれる「赤絵」の3つを総合した磁器の美のこと。この”美”に魅せられて、職人たちが400年も継承し続けてきたもの。濁手に銘を付けないのも、皆で良いものが出来ればそれでいいでしょう、ということだそうだ。

 昭和30年、柿右衛門製陶技術が国の記録作成等の措置を講ずべき無形文化財に、昭和46年、濁手の技法が国の重要無形文化財として総合指定され、平成13年、十四代柿右衛門が人間国宝に認定された。

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