田中絹代監督

トップ > 日記

スローライフ日誌

2009年11月19日

冷たい秋雨が続く。

「日本映画専門チャンネル」で、『月は上りぬ』という1955年制作の映画を観た。
名女優田中絹代が監督した作品。
田中絹代は女優として絶頂の時に、定年を考えて監督を試みたらしい。凄い。

この『月は上りぬ』という映画は、東京から疎開して奈良の田舎に住んで戦後もそのままの三人姉妹と父との話。
小津安二郎が暖めていたテーマを田中に進呈したというのだから、だいたい雰囲気は分かろう。
出演者も贅沢。笠智衆、佐野周二、杉葉子、安井章二、そして北原三枝。
北原三枝が初々しく主役を演じている。
石原裕次郎が北原三枝の映画をみて、友人に彼女と結婚できたら死んでもいいと言ったそうだが、戦後の新しい息吹をはつらつと演じる彼女の笑顔ははっとするほど美しい!!

実は、昨日も田中絹代監督の『恋文』を観ていたのだ。
これも戦後の話し。
進駐軍相手の女性たちが、自国に帰ってしまった彼氏たちに途絶えた仕送りの催促の手紙を英文で書いてもらう。こんな背景がある。
出演者はこちらも贅沢。森雅之久我美子宇野重吉、その他懐かしいまだ若々しいそうそうたる面々。

いずれも、戦後5年か10年の頃の話しだ。

幼かった私でも、あの頃の街の景色、あれらの風景をしっかりと覚えている。

我が故郷九十九里町の海岸に、進駐軍が大きなキャンプを張って、九十九里浜から海に向かって大砲射撃や落下傘での降下演習などをしていた。
近くには『ライフ』誌の寮があり、浜辺では寝そべった白人や黒人の濃厚なラブシーンが演じられていた。
数年、それ以上いたかしら。
小学校は水曜が進駐軍演習日だったかドカーンドカーンと爆音で煩く、午前中だかで終わり、その代わり土曜日は午後いっぱい授業があった記憶がある。
そして、ある晩軍は突然いなくなった。
後には、パンパンといわれた女性たち、あいの子とよばれた子供たちが残った。

映画を観ながら、懐かしくて涙が出てきた。
と同時に、職もなく、食べ物もない当時の、無力な大人たちの、それでも心持ちの暖かさ、豊かさがひしひしと伝わってきて、胸の中が暖かさでいっぱいになった。
今日とはまさに別世界だった、な。

[09.11.14「美術館はしご」]← 
→[09.11.22「木更津カントリークラブ」]

NewChibaProject