1日目  11月16日

錦秋の奈良・京都

 

羽田から空路大阪空港へ

天空には薄化粧をした富士山がお顔を出している。

 

奈良

大阪空港から大型観光バスで移動。1時間強で広大な奈良公園に到着。
春日大社東大寺を拝観する。


春日大社

平成28年11月の第60次式年造替で、ご本殿以下社殿の丹塗が美しく蘇っている。
1300年ほど前平城京鎮護のため、国譲りを達成された最強の武神である鹿島神社を神山御蓋山(みかさやま)の浮雲峰(うきぐものみね)に奉遷したのがはじまりである。
春日皇大神さま(かすがすめのおおかみ)と称えられ、長岡京に遷都すると大原野神社、平安京には吉田神社が春日の御分社として創建されるなど、全国に3000社が奉斎されている。
平安時代より奉納され続けている燈籠は境内に3000基にもおよぶ。
3月13日の春日祭12月17日の春日若宮おん祭りや朝夕の御神事など、年間2200回もの祭典が行われている。

ニ之鳥居

一之鳥居から入りたかったが、バスが二之鳥居近くの駐車場に着くため直ぐに大宮に着いてしまう。

驚いたのは拝観客の多い事。人人の行列である。
以降、私は苦手な人混みと付き合う羽目になる。
観光シーズンとは言え、異常。修学旅行の生徒たちは影が薄く、アジア系外国人でいっぱいである。

表参道

燈籠が立ち並ぶ。

御本殿(大宮)

特別拝観料を収めて内部に入る。

111000年の大杉から御本殿を。

御蓋山浮雲峰遥拝所への道。

遥拝所

後殿(うしろどの)4社を臨む。


大杉の根元から林檎の庭など望む。


林檎の庭から御本殿。

 

若宮15社巡り
大宮の南門に直角に交わった通りに、15の神様が祀られている。人が生涯を送る間に遭遇する様々な難所をお守りくださる神々15社。

若宮は正しい知恵をさずけてくださる神様。



国宝殿に立ち寄った。

祭事に現在も用いられている大太鼓などが展示されている。

 

この辺り一帯には、たくさんの鹿がいる。

 

 

 

 

東大寺

奈良時代聖武天皇の発願により創建、大和の国分寺として建てられた。国家の安寧と国民の幸福を祈る道場であった。仏教の教理を研究し学僧を養成する役割もあった。
本尊(大仏さま)は「華厳経」の教主である盧舎那仏で、盧舎那仏とは釈迦如来の別名752年に盛大な開眼供養会が行われた。
聖武天皇は、人々が思いやりの心でつながることを願い、造像にあたり、広く国民から「一枝の草、一握りの土」の助援を呼び掛けた。ここに東大寺大仏殿の造立は、政府の事業といばかりでなく、国民に結縁を求め助力によって完成された。

東大寺の創建および大仏の造立に深く関わった聖武天皇・菩提僊那(ぼだいせんな)・良弁(ろうべん)・行基を四聖(ししょう)という

平安時代にも修理や造営は絶え間なく続けられた。が、855年の大地震により大仏頭部が落下するなどの被害が。さらに源平合戦で平重衡により大仏殿はじめ伽藍の大半が焼失。鎌倉時代頼朝の協力もあり1185年に大仏開眼供養、1195年に大仏殿落慶供養が行われる。

ところが戦国時代の1567年の乱で、伽藍は二月堂、南大門、正倉院、鐘楼などを残してまたもや他は灰じんと化した。時は戦国時代復興は進まず、120年間本尊盧舎那仏は雨ざらしの状態だった。

13歳で東大寺に入寺した公慶上人は、江戸幕府の許可を得、全国くまなく勧進行脚をし、1692年大仏開眼供養を執行できた。大仏殿の完成は上人没後、18世紀後半には中門、回廊、両脇侍の巨像も造立され、現在の寺観が整えられた。
大仏殿は、創建以来3度目の建物で横幅がおよそ3分の2に縮小されているが、それでも木造建造物としては世界一の規模を誇る。

 

南大門

 

中門

 

大仏殿

 

八角燈籠(音声菩薩)

正面上部

 

ご本尊盧舎那仏

蝶々の彫り物

 

焼失した9重の塔の模型

 

俊乗堂

鐘楼

行基堂

三昧堂(四月堂)

二月堂

三月堂(法華堂)

 

手向山八幡宮

 

法華堂経庫

 

鏡池

 

東大寺ミュージアム

館前にある大仏のお手の模型。
指の長さが3mにも及ぶ。


かなり歩いてくたくたです。
しっかりと拝観しました。