成田の旅

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2018年02月16日 曇り

2月15日は、お釈迦様が亡くなられた日。
そして、今日2月16日は日蓮上人の誕生日だ。鴨川市にある誕生寺は大賑わいだろう。
が、私は、弘法大師ゆかりの成田山へ行く。

成田山新勝寺

千葉県成田市にある成田山新勝寺に出かけた。我が家からは成田空港に行くときに乗るJR快速総武線成田空港行きの線で手前の成田駅下車。40分ほどだ。

駅から、徒歩15分。ゆっくり、のんびりと参道にある店店を覗きながら。が最近は名物のようだ。
米屋の羊羹やら、瓜の鉄砲漬は昔から有名。何故かお煎餅屋が多いな。胡麻専門店もある! その所以は後程…。
父と大昔、60年以上も前に来たものだ。


成田山縁起
正式名称は、真言宗智山派大本山成田山金剛王院新勝寺。ご本尊不動明王は、嵯峨天皇の勅願により弘法大師空海が自ら敬刻して開眼し護摩法を修せられたもの
京都の高雄山神護寺に奉安されていたが、939年(天慶2年)平将門の乱がおこると、朱雀天皇の密勅を受けた寛朝大僧正は、この尊像とともに関東に下り下総の国成田の地にて21日間平和祈願のご護摩を修めた。その満願の日、天慶340年(940年)2月14日、乱兵は平定され、この地に新勝寺の寺号を賜って成田山が開山した。


総門


仁王門
天保2年(1831年)再建。左右光迹金剛、那羅延金剛が渋く睨みをきかせている。


この階段が急。

さらに上って、仁王門をかえりみる。

 

大本堂の広場に上がってきた。

大本堂。
今日は旧元旦。
ご護摩祈願を行う中心道場。堂内には不動明王を中心に四大明王、平成曼荼羅が奉納されている。
護摩が焚かれて、信者さんたちが次々と僧近くに立って行って自身の身体に触れてもらったり、荷物を火に触れてもらったりしていた。
この寺のお守りは、身代御守が有名。私も一つ頂いてきた。



三重塔
正徳2年(1712年)建立。雲水紋の彫刻の入った各層の垂木は、一枚垂木と呼ばれる非常に珍しいもの。


鐘楼


一切経堂

 

聖徳太子堂
六角形をしています。夢殿でしたっけ。

 

ゆっくりと休み休み公園に入ろう。

全体図。緑も多そうだ。明日、17日から梅まつりとある。

 

 

暫く誰もいない道を行くと、こころうたれる霊地があった。
先ずせせらぎが流れている。

ここも道場なのだ。

洗心堂

御滝

滝壺の左側

その小さな石囲いの御堂の中に入ると、上に御滝不動尊が奉安されている。

暫くここに佇んで立禅瞑想にひたった。

 

木立の向こうに、平和大塔
高野山にあった建物に似ている。


 

広大な庭をぐるりと回って、坂を上がり開けた地に出てきた。

清滝権現堂

 

医王殿
平成29年に建立。
平和大塔の脇にあり、健康長寿を祈願。

内部撮影禁止の表示が見当たらなかったのでパチリ。

 

光明堂
元禄14年(1701年)建立。大日如来、不動明王、愛染明王が奉安されている。縁結び祈願所。

* 縁結びというが、昔は成田山は嫉妬深く、夫婦恋人などが一緒に行くと分かれることになると言われたものだが、昨今は如何に。

 

額堂
文久元年(1861年)建立。信徒が奉納した額絵馬が掲げられている。江戸元禄の歌舞伎役者市川團十郎丈や市川海老蔵丈はこの寺の信徒故成田屋と呼ばれる。
高床式の下の場に、成田屋七代目市川團十郎の像がある。青銅製大地球儀も明治40年に奉安。

奉納された大きな額絵馬が軒下に。

 

額堂に面して、開山堂がある。

 

 

釈迦堂
安政5年(1858年)建立。総欅作り。
堂外周囲にはぐるりと見事な五百羅漢二十四考の彫刻が施されている。

 

釈迦堂を降りる階段から大本堂の西翼殿などを見下ろす。

 

正面広場に出てきた。

 

3時間ほどかけて拝観した。
かなりしんどいな。

帰りには、参道で美味しい鰻重を食べてゆっくりとし、お土産も昔懐かしい米屋の羊羹鉄砲漬けなどなど買い求めてまいりましょう。
そう、鰻と言えば、土用の丑の日に食べると今日相場は決まっているが、そうなったのは、江戸時代に遡る。平賀源内という当時発明家で知られた彼は、何でも屋だった。商売不振なあるうなぎ屋から商売繁盛の策を頼まれた彼、そうだと思いつき、暑い土用の丑の日に鰻を食べれば元気になるとの宣伝文句を考えつき、そうふれまわさせたら、大繁盛となったとか。
つまり、いつ食べてもいいのである。昨今、国産はべらぼうに値が張るが。

 

[完]

 

[海外旅行記]

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