6日目

'08 イタリアの旅

ローマの宿を7時30分に出発。
3時間、バスで憧れのナポリにゆく

途中で日が昇りはじめ、思わず旅の無事を感謝し、手を合わせた。
道の両側は葡萄棚


遠く、アペニン山脈に雪が積もっている。

休憩地の花々。


南天!
イタリアにもあるの!?


ピラカンサス

こういう山から大理石を掘り出している。

 

アッピア街道

ローマ松(笠松)の並木。
これは古代ローマの建設した、かのアッピア街道である。
ローマと南イタリアを結んだ道。
古代ローマ帝国は、土木建築は軍隊が得意とする公共事業で、道や水道を拡張して大ローマ帝国築き、「全ての道はローマに通づる」と誇った。

 

ベスビオ火山

ベスビオ火山が見えてきました。
まるで煙をはいているようだが、これは雲でーす。

 


いよいよ憬れのナポリ到着。

[ナポリ]

バスの中からの見学。

ただし、交通渋滞甚だしいため、結構よく見られた。
信号機は飾りだと!!
バスの運転手さんがナポリっ子のため、要領よく走ってくれる。

「ナポリを見ずして死ぬなかれ」とか、100万ドルの夜景、世界三大美港の一つと言われたナポリ。

ナポリ市街に入ってきました。


ナポリ新市街地。
巨大なスポーツアリーナを建設中らしい。


ナポリの新名物、ゴミの山!!


ヌォーヴォ城壁かな。


ナポリ港に面した立派な建物。
単に港湾事務所かな。
大型フェリーが着いている


王宮広場あたり。


これがヌーヴォ城

王宮広場

 

遠くベスビオ火山が見える。

ナポリ港

サンタルチア港

卵城



ナポリ湾

湾沿いにホテルが並ぶ。

 


ポンペイに向けて出発

カプリ島が浮かぶ。
この島に「青の洞窟」がある。
今回は寄らず。

 

[ポンペイ]

ポンペイは、ベスビオ火山の裾野に広がる溶岩台地に建てられた独自の司法、言語をもった自治都市国家であった。
紀元前80年にローマの植民地となる。
紀元62年にこの地方を大地震がおそう。
この復興作業の最中、79年、ベスビオ火山が大爆発
3日3晩の大噴火、火砕流で、街は完全に埋もれてしまった。

これに関する記述は、小プリニウスがタキトゥスに宛てた2通の手紙にされている。

1594年になって、運河工事の際にこの街の痕跡が初めて発見される。
1748年になってようやく計画的な発掘が始まった。

遺跡のほんの一角がみえてくる。

海への門
紀元前2世紀のもの。
市の周囲を囲む市壁の門の一つ。
海に向かって開けていた門。
小さい門は階段があって歩行者用、大きい門はロバや荷馬車用。

マリーナ通り
右側壁は、バシリカの壁。

白い石がとびとびに埋められている。
夜になると、月光で輝き、足元を照らした!!

アポロ神殿

右手に小さく写っているのが、弓を射るアポロ神の銅像
紀元前31年、アクチウムの戦いで、アウグストゥスがアポロ神の加護でアントニウスとクレオパトラの軍に勝利した。
太陽時計が載る柱の碑銘文から、アウグストゥス帝時代のものとわかり、当時のアポロ神信仰がうかがえる。

マリーナ通りをはさんで対面は、バシリカ
バシリカは、司法、商業の中心。商業都市の中心地であった。

フォーロ

フォーロとは古代都市の公共広場

ベスビオ火山があたかも煙をはいているようだが、実際は雲。

反対側
バジリカ方面。


フォーロを取り囲む回廊の支柱。
まわりには市役所や神殿などが建てられていた。

広場北側奥は、ベスビン火山を背にして、ジュピター神殿があった。

アッボンダンツァ通り
マリーナ通りからバジリカやフォーロの間をまっすぐ抜けてさらに広がっていく通り。
アッボンダンツァとは、繁栄という意。

 

エウマキアの建物
フォーロに面してある。
巫女エウマキアが、息子とともに平和と安定をもたらしたアウグストゥス帝と市民とにこの建物を捧げた。
ここは古代最も普及した職業羊毛業に従事する職人や羊織物の洗濯屋組合の座所

建物入り口にアカンサスの葉の螺旋模様と鳥や蛇ウサギなどが彫られている
アカンサスは繁栄の象徴。

 

逃げ遅れて埋もれた人々の姿。

優雅な壁画も発掘。

かわいい雀たち。
生きています。現在の雀です。

市場

幸運のアウグストゥス帝の神殿
紀元3年、アウグストゥス帝を父と敬う信仰が生まれ、何度もポンペイの要職に就いたトゥッリオが自費で建立。

 

フォーロの公衆浴場
水浴室、微温浴室、温浴室などがある。
水浴室と脱衣所は男女一緒。

温浴室。


古代の鉛管。


道路は雨水はけのため一段低くなっている。

 


大衆食堂兼スナック
ここから小銭がレジから発見。
その日の稼ぎだったらしい。
これは公衆浴場の直ぐ裏手にあるもの。
お風呂に入って、一杯!


 

奥庭のある金持ちの家の入り口。

舗装道路が伸びる。

 

ファウノの家
ポンペイでもっとも大きく美しい家。

入り口前の歩道に、モザイクで挨拶(HAVE アーヴェ)が書いてある。

広間中央の雨水を溜めるところに、紀元前2世紀のヘレニズム期に造られた踊るファウノ像があった。
オリジナルはナポリ博物館に所蔵。
かわいい子がいた!

敷石にはきれいなモザイク模様が施されている。

 


街の水飲み場
腕を宛てて飲んだすり減った後が残る。



まだまだ溶岩に埋もれたままが大部分。
発掘の基金が集まらないため。

 

パン屋
ここからは炭のようになった大量のパンが発掘された。

粉挽き機

釜戸

石製の粉挽き機は、腕木を差し込んでロバや人が引いた。


大衆食堂はいっぱいあったようだ。
ここにも。

ここも立派な家。

 

売春宿

入り口

壁に書かれた春画。

道路には、看板ならぬ、道案内が描かれている。

 

 

大劇場
5000人を収容した。

入り口

観客席

右手1mの高さの舞台となり、観客席との間にオーケストラボックスのような溝がある。
多分、地位の高い観客の席であったろう。

舞台の後ろは、2階建ての楽屋となっている。
劇場後方には、劇場付属のいわばロビーのような回廊がある。幕間に散策したり、市民の出会いの場としても使われた。
62年の大地震のあとは、剣闘士の兵舎として使われた。

座席の手すりの飾り

大理石の石畳

手すり

回廊

 

遺跡の外に出てきた。
何故か棗椰子の木が多い。

外から見る遺跡

帰りのバスの窓から、ベスビオ火山の見納めです。

遠くにカブリ島が。
夕日の逆光です。

ナポリ湾が見えてきました。

夕焼けだと、明日はローマは雨?!

 

ローマに戻った。

ライトアップされている彫刻、バチカン広場など。

 

 

 

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