第4日目

ドイツ(北東)の旅

ライプツィヒに向け、朝7:45、エアフルトのホテルを出発。


7:30。まだ暗い。われわれの乗っている大型バス。


8:00過ぎにようやく日の出!?


8:39。 ようやく陽が明けた。

ゲーテ街道を行く。


ご覧のように、風力発電の風車が間近にたくさん迫ってくる。
この吹雪のようなものは、バスの窓の汚れ。昨夜遅く今朝早かったので、運転手さんは掃除が出来なかった。

 

ライプツィヒ

低床型の路面電車が多い。

ライプツィヒ中央駅



左右に入り口がある。
現在は一つの鉄道会社だが、以前はプロイセンとザクセンの会社に分かれていて、それぞれの入り口しかから入れなかった。

トイレを借りに駅構内に入った。
たいへんに綺麗。


2階がプラットホームになっている。

旧マルクト広場に臨むライプツィヒ大学
高いビルの学棟は東ドイツ時代に作られた。

街並み

 

聖ニコライ教会
1212年、旅人と商人の守護神を祀って建てられた。


東西統一の記念塔。ベルリンの壁崩壊10周年の記念碑。

この聖ニコライ教会に1989年、若者たちが集まって東西ドイツ統一の静かな祈りの動きを起こした。

中はとても穏やかな色調で、こころが和む。
統一のシンボルとして外に建てられていた塔は、この教会の柱だ。
椰子の木をシメージしている。

とても珍しいが、キリストの生まれた地は南なのだし、聖書にもよく出てくる木ではある。


大きなパイプオルガン。
統一の願いが荘厳に奏でられたのであろう。

旧市庁舎

市庁舎前のクリスマス市


こちらは、中世の時代の様子を再現している。


市の後に小さく写っている像は、若き日のゲーテ像

ゲーテの通った酒場の入っているビル。

ビルの中の通路。

通路の両側に『ファウスト』縁の像

学生ゲーテの通った酒場アウアーバッハス・ケラーは今もレストラン。
地階にある。
その入り口にあったポスター。

『ファウスト』にも出てくる。
留学中の森鴎外も通った。



メッセ会場ビル
中世の頃から、通商貿易で栄えた。


聖トーマス教会

バッハ縁の教会
バッハは1750年に亡くなるまでの27年間ここで指揮者兼オルガニストを務めた。
市長よりも収入が高かったという。
それでも子だくさんだった彼は副業にも勤しんだらしい。


バッハの像。


教会内の祭壇の床にあるバッハの墓。


パイプオルガンの前で、バッハも指揮をした少年合唱団が練習をしていた。

 

マイセンに向かう。

またまたの風力発電。風車が林立している。
ナウムブルグとかワイマール近くを走る4号線とか9号線とかで、ちょっと数えてみたが、500基はゆうにありました。

マイセン


マイセンを流れるエルベ川。


ザクセンのマイセン城。

国立磁器マイセン製造所のショールーム入り口。
壁に歴代の刻印が。
製品に描かれる青の双剣は、ザクセン王の紋章からとったもの。


ショールーム

 

ドレスデン

ザクセン王国の首都。
エルベのフィレンツェといわれた。

ツヴィンガー宮殿周辺

カテドラル




これは何だったかな。

ゼンパーオーパー(ザクセン国立オペラ劇場)
ワーグナーのタンホイザーがここで初演された。


オペラ劇場の入り口。

ツヴィンガー宮殿

ザクセン・バロック建築の最高峰として1738年に完成。
第2次大戦で崩壊。
1988年〜92年に修復。
現在は、博物館・美術館として、ザクセン王家の財宝が展示されている。

アルテ・マイスターでは絵画760点以上を展示。
中でも、ラファエロの「システィーナのマドンナ」は見逃せない。


 

ドレスデン王宮


アウグスト大王像


ドレスデン王宮の側壁にそって裏手へ。


奇跡的に戦災を免れた「君主の行列」
王宮の裏側壁に、2万5000枚のマイセン磁器タイルを使って、歴代の王が描かれている。


フラウエン教会

第2次世界大戦の戦火で完全に消失したままになっていたが、東西統一後1996年にひとつひとつのレンガを拾い寄せ集めての再建が始まり、2004年6月に完全に復元された
白い部分は新しい資材で作られたところ。

教会前広場に建つ像。


ブリュールのテラスからの眺め。


ブリュールのテラス
エルベ川を望める高い堤防といったところ。
これを市民の憩いの場。


ノイマルクトに向かう小道。
クリスマスイルミネーションが華やか。


エルベ川の船着場。


川向こうは新市街となる。

 

夕闇のツヴィンガー宮殿

中庭から正面を撮る。

中庭から
陶磁器コレクションの間を撮る

この後、中に入り、それはそれは凄いザクセン王の宝物に圧倒されました!!

 

 

[第3日目]← →[第5日目]

NewChibaProject