エネルギー・フォーラム社刊「イーピーレポート」視点欄に連載している最近のエッセイ

今年の世相”(2006年12月11日)

 社会、経済、政治と酷い事象ばかりで新聞をあけるのがいやになる。

 学校でのいじめ。子供が遺書を残して自殺する。校長も自殺する。安易に死ぬより死にもの狂いで頑張れないのか。『死に至る病』が絶望ならば、幼子が絶望の淵に自ら追いやることができるのか。必修科目の急場凌ぎや早急な教育基本法改正などという、子供たちに教育への不信を抱かせてしまう姿勢自体に根本的問題を孕んできた。

 11月17日付けで”文部科学大臣からのお願い”として、子どもとの対話をしてください旨の文が町内会回覧板で回った。恐ろしいことだ。今度は地域に責任転嫁か。教育の場の最たるものが家庭であるのは確か。酷な言いようだが我が幼子の苦悩を知らなかったという親がいようか。親がその幼子を虐待し殺すという事件の多発からも、家庭が無くなった、特に母性が無くなった日本社会の姿が垣間見える。子供たちの居場所がない。こころが震える。

 いじめは政治の場でも職場でも、どこにでもある。が、政治の場で刺客とか踏み絵とかいった言葉が公然と使われるのは政治の貧困さを物語っている。いったいデモクラシーは何処へいってしまったのか。そして暴かれる知事たちの汚職。野党やマスコミ、それに世論もスキャンダルを煽るばかりで本題の論戦が展開できない。不甲斐ない。

 勝ち組、負け組みという拝金主義がまかり通る。逮捕されたIT成金たちの無責任さには呆れる。少子化現象も根は同じところにあろう。ダブルインカム・ワンキッドでしかやっていけない今日の家計。欲についてどんどん出ていく現金に喘がざるを得ないのだ。松坂投手の60億円騒動もこれに拍車をかけるだろう。

 国民生活に全く実感のない、いざなぎ景気を超えたとの政府の発表は、何の意味ももたない。国政での”やらせ”タウン・ミーティングや報告書数値の捏造がまかり通る今日、政策と国民の実態とは大きくずれてきてしまっている。

 

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