エネルギー・フォーラム社刊「イーピーレポート」視点欄に連載している最近のエッセイ

若者の傍若無人”(2003年11月10日)

 なんとか褒めたいのだが、やはりだめだ。久々に若者に対して怒っている。そして、若者をこうした人間に育ててしまった我々中高年世代にも怒りを覚える。特に父親と母親に。かわいそうに、子供を人間として育ててこなかったのではなかろうか。

 はもはや反省では始まらない。行動しなければ。注意して反撃されようが恨まれようが、それを覚悟で一人一人が立て直しに取り組まなければ、とんだ社会になってしまいそうだ。

 電車に乗るのに今時の若い人は整列ができない。前を大きくあけて立っている。並ぶ気があるのか乗る気があるのか分からない。わたしは怖いが、「並んでいるの」と聞いて彼らの前に入って並ぶことにしている。すごく勇気がいる。

 電車で大学生風の人は殆どがリュックサックを肩に掛けている。混雑していても棚に載せようとしない。大股で立ったまま中に進もうともしない。若い女性は電車内で化粧をしている。あきれるのを通りこして驚きである。見る見る変身いや変顔していく。その辺り構わぬ無神経さが怖い。浅く腰掛けて足を組んでいる女性に、「混んでいる電車では足は組むなよ」と中年男性が咎めたら、その女性はすみませんと直ぐにほどいたが。

 短大出たての若い女性が、ある会社のわが家の担当となって集金に来た。どうぞと玄関のドアを開けたら、どんどん上がってソファーに座る。こちらはお茶でも出したくなってしまう。払おうとしたら、お釣りがありませんとすましている。こっちだって3つの財布をかき集めたが小銭がなかったのだ。「会社に帰ってお釣りを用意してきなさい」と教えた。案の定、今度は一通りのお釣りしか持ってこなかった。集団就職で来たという出前のおじさんは、とんなお金でもお釣りはありますと、戸口でいつもにこにこしているのに。

 ここに挙げた例は、日常の人との関わりあい。人との関係で自分はどうしたらいいのか、人がみえていないようであり、自分すらみえないのかも知れない。

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