エネルギー・フォーラム社刊「イーピーレポート」視点欄に連載している最近のエッセイ

日本人のエネルギー観”(2005年03月11日)

  2 月は省エネルギー月間だった。時同じくして、京都議定書が発効した。

 省エネルギーについて、もう少し国民的レベルで意識が盛り揚がるかと考えたが、そうでもなかった。

 エネルギー関連企業が懸命にエネルギー問題を考える世界と、一般市民が日々暮らしていく社会とは大きく隔たっている。エネルギー産業の只中に職を持たなくなって、改めてそのことを痛烈に感じる今日この頃である。エネルギーのことは、暮らしの中のほんの一部分でしかないのだ。そして、有り難いことに今やエネルギーは空気同然に目には見えないが慣れ親しんでいる。何の問題もない。

 が、それは日本だけだということを、またもや海外旅行で知らされた。

 2 月のはじめにギリシャ旅行をした。ヨーロッパはどこでも普通そうであるが、ホテルで一斉にお湯を使うとお湯は出なくなり冷たい水になってしまう。蛇口を ひねればお湯が使い放題 に慣れている日本人には苦情の種となる。コンクリート、大理石作りの建物は木造と違ってそれだけで冷たく感じる割に、暖房もセントラルヒーティングなどめったになく、部屋のエアコン機能も低い。温水洗浄便座など外国にあるべくもなく、エネルギーの恩恵に浸りきっている日本人にはいろいろ辛いことになる。

 自動販売機も殆ど見ない。コンビニも見ない。どう見ても小さな食料品店が、 スーパーマーケット という看板を掲げて、雑貨や地元のワイン、オリーブオイル、野菜、果物をところ狭しと置いてある。野菜をひっくり返したりして品定めをして買っていくのは、不思議と男性方。そういえは、ギリシャでは買物は男性の役割だったかしら。

 それぞれのお国柄はあるわけだか、日本の生活がエネルギーを充分に使っていることだけは確かだ。が、エネルギー資源は乏しい。省エネルギーは貴重な自前のエネルギーのはず。もっと、省エネルギーの意識と、そして実行を図らねばなるまい。

    サマータイム制の実施も必要かもしれない。

 

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