シュリーマン旅行記  清国・日本

ハインリッヒ・シュリーマン著
講談社学術文庫
800円+税

 著者はホメロスの叙事詩『イリアス』に惹かれて、トロイ遺跡やミケーネ遺跡を発掘した人物である。

 丁稚奉公時代の貧苦から数カ国語を理解し商人として莫大な富を築いた彼は、41歳にして商業活動をいっさい停止、念願の世界旅行と考古学の研究に没頭する。発掘記録を纏めた『先史時代への情熱』という本の著者自らが書いた部分「自伝」に、考古学研究の前の世界旅行で日本に行ったと記されている。そして横浜からサンフランシスコへの50日間の船中でこの『清国と日本』を書いた。その鋭い観察眼は、すでに考古学発掘家の目である。

 時は1865年初夏。梅雨に祟られる。中国は清朝衰退期。63年上海に米英租界ができる。日本は幕末。60年咸臨丸太平洋横断、67年には大政奉還である。

 万里の長城へ、ただ一人で5時間半掛けて道無き岸壁を探索する。城壁や素材の煉瓦やアーチ組みの仕組みなど丹念に観察、石などの蒐集に努める。単なる物見遊山の趣きは全くない。中国女性の纏足もつぶさに観察。北京の堕落振りには厳しい目を投げかける。

 上海から横浜への船旅は、”九州本島の美しい景観にそって進んだ”と記されている。そして、”有名な火山富士山を望む。万年雪に覆われた山頂が遥か雲の上に聳えている”清朝に辟易した目は、憧れの日本へはやる気を押さえ難いようですらある。当時の日本は幕末の混乱期とはいえ、彼の期待に充分応えている。西洋文化の波に飲み込まれていない、本来の美しい日本の原型がまだそこにはあったからである。

 ”家々の奥の方には小さな庭が見える。日本人はみな園芸愛好家である。日本の住宅は押しなべて清潔さのお手本になるだろう””この国には平和、行き渡った満足感、豊かさ、完璧な秩序がある”と言わしめ、世界中を見て知る彼をして”世界のどの国にも増してよく耕された土地が見られる”と言わせる。”日本の役人に対する最大の侮辱は現金を贈ることであり、また彼らの方も現金を受け取るくらいなら「切腹」を選ぶ”とも。

 残念ながらこれらのことは、今日の日本では全く見失われてしまっている。

(07.06.29)

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