電気新聞「今週の一冊」欄に載せた最近の書籍紹介

本、そして人』(2005年08月26日)

神谷美恵子著

みすず書房

2000 円+税

 

 著者の他の本は、『いきがいについて』、『人間をみつめて』など、精神科医としての専門的そして温かな眼差しで人間のこころを見つめているものが多い。多くの読者にとって、神谷美恵子の著書は、「生きる」ということをしみじみと考えさせられた本の代表的なものだったのではなかろうか。著者は、瀬戸内海の小島で、ハンセン病 の精神科診療に身をもって尽力もした。

 この本は、こうした著者の人間交流、影響を受けた本などを、自身の小作品、エッセイ、書評、読書日記、書簡などをまとめて、構成されている。

 人間交流は驚くほど上質である。新渡戸稲造は両親の仲人でもあり、いわばおじいさんのような存在。父が国際公務員となり、著者がスイスで入学した「ジャン・ジャック・ルソー教育研究所付属小学校」の校長は、発達心理学者のジャン・ピアジェ。彼が 30 歳の時であった。父は敗戦直後文相に就任、天皇の「人間宣言」文案起草。父の友人で宮内庁長官を勤めたのが田島道治。そして宗教家の三谷隆正など。兄前田陽一はパスカル研究者、その友人が森有正。その他、哲学者のミッシェル・フーコー、バージニア・ウルフの夫レナド・ウルフなどなど。彼らとの交流、出会いから得た影響は大きかった。

 感銘を得たとされる本は、古典が多い。パスカル『パンセ』、ギボン『ローマ史』、ローマ皇帝マルクス・アウレリウス『自省録』、ブラトン『ポリティア ( 国家 ) 』など。しかもものごとを考えるにフランス語の方がしやすかった著者は、これらを殆ど原語で読んでいる。そして、『自省録』に至っては原典から翻訳までした。

 シモーヌ・ヴェーユやバージニア・ウルフといった才気と狂気をあわせもって苦しんだ女性の軌跡を、専門の精神医学の目で見つめている文章は、著者自身も病を抱えてのしかも完全主義らしい生身の生活があり、著者と重なって見えてくる気がする。ウルフの病誌は、スイスの精神医学誌に英文で発表している。

 日記や書簡などから抜粋してまとめられている神谷美恵子の本棚という章では、『キュリー夫人伝』から『枕草子』、『セバスチャン・バッハ回想録』、『失楽園』、『幸福論』、『歎異抄』、『正法眼蔵』などなど、その時々に深く心打たれて読みふけった様子が窺い知れる。

 と同時に、そこから著者自身早い時期に、自分らしいものが書けぬものか、書きたい、書こうと思案していたことも読み取れて、たいへん興味深い一冊である。

 

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