震災後

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九十九里浜日記

2011年05月08日

ゴールデン・ウイークの最後の日、九十九里の家に来た。
道中、東金道路の両側は緑の中に山藤の紫が見事。この時期の好きな風景だ。
東金から豊海県道に降りていくと、既に田植えは殆ど済んでいる。これもこの時期好きな風景だ。

家に着くと、想像通り、草が茫茫。
早速草むしりに取りかかる。

藪鶯が元気にたからかに歌声を聞かせてくれている。
蛙の合唱も聞こえる。
海鳴りも聞こえる。東風だな。

草むらの中に、花が咲き乱れる。


紫蘭


小手毬


君子蘭

通りがかった昔からの知り合いが声を掛けてくれる。
一人、二人と集まり、結局孫まで入ってひとしきり道ばた談義が続いた。

「地震の時は怖かった?」と私。
「揺れはそれ程でもなく、コップ一つ落ちなかったさ。でも、防災無線で10mの津波が来るから避難するように鳴ったから、孫の幼稚園の迎えの時で、どうしようかと思った。幼稚園ではみんなで近くの避難指定場所の小学校に避難していたから、良かった。私もみんなと小学校まで歩いていったさ」
徒歩だと30分はかかるだろうに。小学校は2、3階建てのはずだ。
ここ九十九里平野はとにかく平野。10kmの東金が10mの標高だそうだ。
元禄時代に大津波が押し寄せた記録があるときいたことがあったが。
「なになにさんとこの婆さんは、津波がきたってわたしはここで死んでもいいと動かなく、嫁さんが困り果ててたよ」
「電気、水道が直ぐに止まっちゃったから、家に帰ってもしょうがないから一晩小学校に避難していたさ」と言う人も。

やはりたいへんだったんだ。
津波がこなくてほんとに良かった。とはいえ、ここの片貝漁港の漁船が岡に乗り上げ水道塔を壊してしまったらしい。
同じ九十九里浜でも、旭市や蓮沼といった九十九里町から見ると離れた両側は大被害にあっている。
大地震、大津波と聞いたら、早くに高台に避難することだ。

ご近所の旦那さんが今採ってきたと、小振りの蛤をいっぱい、海水に漬けたままくれる。2、3時間塩抜きしてよ、と。
タマネギは売るほどあると。

故郷はいいものだ。
こころが穏やかになる。
随分とこころの安らぎもいただいたな。

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