昭和戦後の証人

8月はロング・バケーション

九十九里浜ロングバケーション

2013年08月23日

海難事故者はまだ発見されていないようだ。
早朝からヘリコプターが飛んで捜索を再開している。

昨日藤圭子さんが高層マンションから飛び降り自殺と報じられていた。
暗い陰鬱な歌声を思い出した。

昭和44年歌手デビューだそうだ。
幼くして歌歌いの旅回りをして両親を支えていた。

私が大学を卒業し社会人になった年。
高度経済成長期で、ボーナスは年間10ヶ月なんていう年が続いていた。
そんな中で、彼女は「夢は夜ひらく」など暗い貧しい人生を、こころを、暗い情念を、無表情で低い声で、えぐり出すように歌っていた。
それが大ヒットし、大スターとなった。
その内に渡米。
日本に帰ってきても歌手をしていたらしい。
宇多田ヒカルという娘を歌手デビューさせて成功した。
なのに、自身は心身ぼろぼろだったようだ。

昭和戦後の、極貧の、教育もままならない社会を思い出した。戦前の豊かな社会を知らない私は、子供ながらにそれが当たり前でみんなでその中で楽しく生きていた。気ままな子供時代だ。
彼女は子供時代からまるで大人のように、社会の貧困苦を背負っていたのだ。

そして高度成長で世の中浮かれていても、彼女のこころは底を這いつくばっていたのか。
思い出した。大学時代の同級生に札幌から来たという女性がいた。住んでいるところを聞くと妹と銀座に居ると。昼休みになると校庭脇の土手に行って食事はせず本を読んでいた。妹さんが銀座のホステスで、お姉さんを支えているらしかった。
同じ同級生には、大企業の社長令嬢や大政治家の孫や妹などなどもいた。

当時日本を席巻していたアメリカ文化。
憬れのアメリカ社会に彼女は飛んでいく。
そこでは無名の娘として一からいろいろと学び得ることも多かったろう。
が日本に戻ってから、以前のような花形スターにはなれない。

普通の暮らしを求め、しつつ、心身共に砕かれていったのか。
あたかも、戦後日本の世相の移り変わりの本質を映し出しているようで、何とも哀しい。
冥福を祈る。

そうして今日の日本が続いている。
昨夜は重苦しい夢を多く見たような気がする、もう覚えていないが。

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