『キリストの生涯』

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読書日記

2016年11月30日

『キリストの生涯』 J.M.マリー 平凡社世界教養全集9に収録 350円

1962年11月30日初版発行となっている。54年前の本である。
著者マリーはイギリスのジャーナリスト兼批評家。1889年〜1957年。

マリーが本著で追及しているのは、イエスを「天才」であると規定することである。
イエスは神であるという見方は、後のキリスト教を形作っていく過程で作られたこととする。
現存する書物の中でマルコ福音書が一番古く辛うじて生のイエスを知っていて、他のマタイやルカの福音書はマルコの福音書を用いていることなどから、マルコ福音書を主に歴史を辿っている。
イエスは、ガリラヤのナザレの村の大工ヨセフとその妻マリヤとの間にできた息子であった。ダビデの子孫などではない。ヨゼフはイエスの幼い頃に姿を消す。多分死んだのであろう。イエスの家は貧しかったが、それなりに普通の子であったはずだ。兄弟も多かった。長じて大工となるが、当然熱心なユダヤ教徒で、律法と予言者とを学ぶが彼ほど暢達な創造力にとんだ力量で聖書を知っているものはいなかったであろう。天才イエス故である。
30歳、ヨルダン川で洗礼者ヨハネから洗礼を受けると彼の生涯は一変する。 ヨルダン川の河岸で彼が祈っているとき御霊が鳩のように彼の魂にくだり、彼の身の内に天の声が響いたとき、自分は神の子であると知った。
イエスの当時の信仰の特別強いひとには考えられる精神の動きであろう。
彼が崇拝できる神は彼が愛することのできる神、優しい神であった。洗礼者ヨハネの神はきびしく畏るべき神の声だった。旧時代に属するヨハネは旧時代の律法と予言者に属していた。それでもヨハネはヘロデ王の乱交に苦言を呈してサロメに首を切られるのである。
その後、イエスは教えを説きつつ様々な苦難を乗り越え、秘跡を施しながら、エルサレムへの旅を実行する。エルサレムでの死を知りつつ。
エルサレムの神殿はユダヤ教の総本山である。そしてこの地はローマの施政下にある。ヘロデ王は2回も洗礼者(イエスをヨハネと同類と思っていた)を処刑したくないし、ローマの施政者ピトラもユダヤ教徒間のいざこざにうんざりしていた。イエスは裁判をたらいまわしにされて、十字架に磔刑となる。最後の言葉は、「わが神、わが神、なんぞ我を見棄てたまいし」だった。イエスは生きているうちにメシア(キリスト)になり神の国が来るものと信じていたのか。
十二使徒などは謀反の嫌疑がかけられるのを嫌って逃げてしまい、生母マリヤはずっと以前から彼を信じておらず逮捕に加担したりして、処刑の際にはマグダラのマリアともう一人のマリアが遠くから見届けていたのみであった。
6時間で息絶えたイエスをピトラに乞うて急いで葬った男は、大陪審の一人で裕福な信心深いユダヤ人アリマタヤのヨセフだった
愛を説き、敵やイエスの説を理解できない人々のためにも死んでいった教祖は、他の宗教の教祖にはいない。

生身に生きたイエスの短い生涯と教えが、キリスト教という大きな世界的宗教になり2000年も息づいているということはたいへんなことである。
人間の精神とは、こころとは。そして、宗教とは。

 

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