4日目

'08 イタリアの旅

[フィレンツェ]

花の都フィレンツェ。
誰もが憧れるルネッサンスの芸術あふれる都
が、おかしなことに、文豪ゲーテは何の興味もなく、道中たった3時間しか滞在しなかったと、著書『イタリア紀行』岩波文庫に書いている!!

ミケランジェロ広場

     郊外の小高い丘にある。


広場中央にミケランジェロのダビデ像(複製)

広場から市街を望む。


アルノ川が流れ、最古の橋と言われるヴェッキオ橋が架かっている。


ドゥオモ大鐘楼がみえる。

 

市街アルノ川沿いから、

ウフィッツィ美術館
奥にヴェッキオ宮(市庁舎)、その塔がみえる。

こちらはヴェッキオ橋
ウフィッツィ美術館(もともとはメジチ家のオフィイスだった)から、アルノ川をはさんでピッティ宮(メジチ家の居城)に通じている。
現在は1階は貴金属などの土産物屋が軒を並べる。
2階はギャラリーとなっていて、絵画などが飾られている。


アルノ川に架かる多くの橋。

メジチ家
  フィレンツェはメジチ家の賜といっても過言でない。
   薬屋、金貸しとして巨万の富を築き、法王を出し、ルネッサンスのバトロンでもあった。
  ナポレオン遠征時、メジチ家の最後の跡取りだった姫に子供がなく、絵画その他全ての美術品をフィレンツェに残すことを条件に、ナポレオンに降伏、フィレンツェを譲った。


シニョリーア広場

     ヴェッキオ宮(市庁舎)


ここにもダビデ像が。


手前右側は彫刻廊ロッジア・デッラ・シニョーリアで、多くの彫像が建ち並ぶ。
二頭のライオン像も建つ。


ライオンが足を置いているのは、丸薬
メジチ家は薬屋から興ったと言われ、家紋にはこの丸薬が5つ6つと描かれている。

彫刻廊の右手隣はウフィッツィ美術館。
この彫刻廊は、市民集会などで雨が降ったら雨宿りに使われた。
まさに今日は土砂降りの雨!! で観光客を足止めしている。

広場ヴェッキオ宮に向かって左手前にネプチューンの噴水

彫刻廊の彫像たち。

 

小やみを見計らって、でかけます。

ドゥオモ(サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂)

 

この時計は、たしか左回り?

丸天井にはフレスコ画で「最後の審判」が描かれている。

 

ドォウモの正面は、
八角形のサン・ジョバンニ礼拝堂

その東門の「天国の門
旧約聖書の挿話が浮き彫りにされている。



街角からヴェッキオ宮を覗く。

サンタ・クローチェ教会
ミケランジェロ、ガリレイ、ロッシーニなどが埋葬されている。
前の広場が雨の水たまりで美しい!!

 

フィレンツェ風カツレツのランチの後、バスで1時間30分、ピサへ向かいます。

 

[ピサ]

ピサは、中世、ベニスやジェノヴァと並び覇を競った海運都市
現在は海辺は遠くなったが、ベニスなどと同様、軟弱な土地
それなのに安普請をした鐘塔なので、建築中から傾き始めたという。

ドォウモ広場への壁門。
ここにもメジチ家の紋章。

「奇跡の広場」といわれ、ガリレオ・ガリレイが物理学上の大発見を実証したところ。
ということは、ガリレオはピサ大学の教授だった??

建物の全体

洗礼堂。ピサ様式。

鐘塔。いわゆるピサの斜塔。
傾いていて、途中4階当たりで立て直している。
ガリレオがここから何かを落とした実験?? 何だったかな。

ドォウモ
他所のドゥオモのゴシック様式ではなく、ロマネスク様式が主。つまりローマ風という尖塔などあまり飾りのないもの。
それに、交易のあった東方ビザンチン様式やイスラム様式を取り入れている。

ドゥオモ内部
内部の美しさにびっくり。
天井中央から長いろうそく立てが下がっている




この垂れ下がったろうそく立てが揺れているのを観て、ガリレオが実証したもの。
振り子は左右に同等に振れるということ、だったかな?

白黒の大理石で飾られていて、別名「森の教会」と言われる。
イスラム風な趣きである。

こうしてみると、斜塔の感じがよく分かる。

斜塔も見応えはあったが、ドゥオモ内の美しさは想像以上だった。

フイレンツェに戻って泊まります。

 

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