「イタリアにスローライフの原点を学ぶ」研修報告書

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7日目 フィレンツェ

アグリツーリズモの一夜が明けてみれば、そこはフィレンツェ市街からたった15kmの、トスカーナのなだらかな丘の上だったのだ。

キャンティの近くなので、またまたイタリア有数のワイン生産地帯

ほんとうに、ここに後2〜3泊して、ゆっくりしなければもったいない。

朝の9時には、そそくさとここを後にした。

革製品工房見学

フィレンツェ近郊は革製品の生産、特になめし技術が優れていて、古くから盛んである。われわれの訪れた工房はLBG社。社長みずからが案内してくれた。

 

職人の数は現在本社工房に30名、下請け工房11カ所に100名いるが、腕のいい職人がだんだん少なくなっていく傾向にあり問題化している。70年代は作業員の殆どは男性だったが、現在は8割りが女性である。100人の革職人志願者のうち、長い修行期間を耐え、低賃金でも頑張る質のいい職人には1人しか残らない。

ここでは、グッチ、ランバン、セリーヌなどほとんどの一流ブランドバッグを生産している。前に訪れた繊維工場と同じで、一流ブランド品の殆どが、実はイタリアで生産されているのだった!

だが、問題はいずこも同じ賃金の問題では、低コストに押さえられる中国、ブルガリアなどにいかに対抗するか、そして若者の問題では、情報産業への関心が高い彼らをいかに昔ながらの職人技術にひきつけるである。

カルティエからの注文があったが、人手が足りないために断ったばかりだと残念そうだった。

フィレンツェ市街に入る途中、フィレンツェの街を一望に見下ろせるミケランジェロ広場(実際に寄ったところは何とか教会の見晴らし台。名前を忘れたが、ミケランジェロ広場と同じによく見える場所。無料である。ミケランジェロ広場は入場料がいる。)に寄った。

街並の屋根の色が薄茶色に統一されていて、落ち着いた佇まいだ。これは、近郊で造られる茶色のレンガしか使ってはいけないと定められているため。そういわれてみれば、道中、多くのレンガ工場があった。

フェラガモ博物館

1995年に博物館として一般公開。

フェラガモの一代記はあまりにも有名。ナポリ郊外の靴職人の見習いだったが、12歳でアメリカに移民。ボストンで靴の会社に勤める。が大量生産システムが性に合わず、カリフォルニアに移り、靴の修理工として再スタートするが、折からのハリウッドスターたちの目にとまり、履きやすいと評判になり、大成功を収める

この辺のところを、実際にマリリン・モンローやオードリー・ヘプバーンたちが履いていた靴や映画「ベンハー」で履かれた靴などの展示で示してある。

1930年にはイタリアに帰り、なめし革の産地フィレンツェに工房を持ち、世界的なブランドとなる。

第二次大戦前後に、荒れ果てていた現在の城を買い取り、徐々に修復して、現在のフェラガモ本店とする。アルノ川にかかるサンタ・トリニタ橋(ポンテ・ヴェッキオ橋の隣りの橋)のたもとにある。

2階が博物館で、一階は売り場になっている。

ウフィッツィ美術館

ウフィッツィとは事務所の意。つまりメディチ家のオフィスのことである。

ここのボッティチェッリの「ヴィーナスの誕生」と「春」がどうしても見たかったのだ。これも修復が済んで色が鮮やか、消えていた花々がきれいに咲きよみがえったと聞いていたから。入ってみると、それだけではない! ! ルネッサンスの巨匠たちの作品が五万と有り、メディチ家の凄さに改めて驚く。勿論、撮影はできない。

一日かけても見尽くせないだろう。

予約が必要。

これ以降、フィレンツェでは歴史的絵画や建物の鑑賞には、必ずイタリア人の説明員が付かなければならないことを知る。

アカデミア美術館

美術大学の一部屋にミケランジェロの「ダヴィデ像」が収められている。一部屋といっても広い。ミケランジェロの大理石の試作が幾つか並んでいて、正面に「ダヴィデ像」が据えられている。思っていたよりはるかに大きい。背丈は2階くらいになろう。ふとどき者が腕を折ってしまい、接がれていた。そして、古くなってきたのでバランスを保つためか、全方向から支えられていた。

ミケランジェロは、この大きな作品も、大理石に直に彫りこんだというのだから凄い。人体学、解剖学を熟知していた天才だけが成せる技だ。

これは大きすぎて写真に収まらない。

 

 

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