能鑑賞

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スローライフ日誌

2013年03月12日

久々の能鑑賞。
今春会定期能で、「生田」「羽衣」「阿漕」。

「生田」は、法然上人が拾い子で育てていた子が10歳になった時、説法でその話しをすると、女が進み出て自分がその子の母で父は一ノ谷で討たれた平敦盛と明かす。父を慕う子が加茂神社で対面を祈ると、津の国生田の森に行けとの霊夢を蒙る。そして生田に赴き敦盛の霊とめぐり会う。
敦盛は子に会えて喜び、合戦の物語りをし、修羅の闘いの様をみせると消えていく。
修羅能だが、親子の情愛の深さが印象にのこった。
子方が大きな声で謡うも愛くるしいし、シテの面が「敦盛十六」という青年美男子の面でこれもひときわ美しく、平家物語の源平合戦の不条理が痛ましい。 

「羽衣」は、三保の松原の漁師白竜が、松に架かった美しい衣をみつけ持ち帰ろうとすると、天女が現われ自分の羽衣を返してほしいと懇願する。ならば返すが、返したら天女は舞わずに去るのではと疑う白竜に、天女は、「疑いは人間にあり、天に偽りなきものを」と答える。白竜が衣を返すと天女は喜び舞いを舞いながら天へ昇っていく。
衣をまとった天女の「序ノ舞」が美しい、はずだが、今回はあまりよくなかったとはご一緒した方の話し。素人の私が観てもただおとなしいばかりだったよう…。

「阿漕」は、伊勢国阿漕が浦でのこと。一人の置いた老人があらわれる。その老人に名の由来を旅の僧が問うと、ここは大明神の御膳を調える網を入れるところで禁漁区となっていたが、阿漕という名の漁師は度々密漁をしていた。それが見つかり捕らえられて、ぐるぐる巻にされ沖に沈められた。そのためここを阿漕が浦というようになったという。いまでも苦しんでいようから弔ってくれと頼み漁のしぐさをしながら消えていく。
旅の僧が法華経を読誦していると、阿漕の亡霊が四手網をもつて現われ、密漁の有様と地獄での苦しみを見せて、救ってほしいと願って波間にきえてゆく。
欲張りでやり方が汚い様を阿漕というが、その言葉の由来はこの能からか。
後シテの面は痩男で、密漁をし地獄で苦しんでいる様が凄まじいほどに凄味をみせる。
いい能だった。

午後いっぱい、幽玄の世界に浸っていた。
と、家に帰りテレビで、2時過ぎ頃か関東は砂埃に覆われたと報じていた。黄砂ではなく砂煙なのだそう。 
気温がこのところ急に25℃近くなったり乾燥しきっていたりと、土埃が吹き荒れたのであろう。
我が家のある近辺は、もともとは50年も前の話、辺り一面麦畑で砂地で、春になると砂埃が吹き上げたものだった。宅地造成で下見にきた人はそれで驚き止めたと聞いたこともある。今は住宅やビルが建ち並び砂の隙間はなくなっているが…。

翌日3月11日午後2時46分は東日本大地震の発生した時刻

 

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