能鑑賞

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スローライフ日誌

2013年10月07日

久々の能鑑賞。
千駄ヶ谷の国立能楽堂にて。
金春会定期能
番組は、能   「実盛」
     狂言  「焼栗」
     能   「楊貴妃」
          「自然居士」

「実盛」については、
いつもお連れ下さる方が来られずに、事前に下記のようにメールで御指南くださったので、有り難く大いに理解に助かった。
"斎藤実盛は、源氏・・・源義朝の家臣でした。源氏の兄弟は争いが多く、義朝は弟と戦いを起こし、弟を殺害します。その子を義仲(後の木曾義仲)といい、普通であれば、子の義仲も殺害されるのですが、義朝の家臣の斉藤実盛が、哀れに思い、ひそかにその子を連れ出して、木曾の山中に預けるのです。それが、後に木曾義仲になり、木曾一帯のリーダーに成長します。(しかし、彼は、斉藤実盛が、自分の命の恩人であることを、よく知り、意識してるのです。)
そして、平家打倒の兵を挙げるのです。    
実盛は、義朝が平清盛と戦い、破れ、死んだ後、平家に請われて、平家の家臣と成り、平宗盛に仕えます。
そして、木曾義仲が兵をい上げたと聞き、「自分ももう高年齢。ならば、自分が助けた義仲と戦い、義仲に討たれて死のう。」と思い、宗盛に頼んで、自分の最後の戦だからと、立派なよろい・兜をもらい、鬢髭を墨で染めて戦に行くんですね。    
謡・能でも、実盛の首を見た時の義仲の、自分の恩人・実盛への思いが感じられます。
・・・・こういう、実盛・義仲の関係を思いながら、能をご覧になるとよいと思います。" 
加賀国篠原の首を討ち取られ洗われた場所に、230年の後、諸国遊行の他阿弥上人が説法中、毎回上人にだけ見える亡霊として、口惜しくも手塚太郎光盛に討ち取られた無念など語り舞い、73歳の老武者の心意気と悲哀を描いた修羅能である。
世阿弥作。

狂言「焼栗」は、例によって可笑しい。
太郎冠者が主人に頼まれて栗を焼く。縁起の良い40個の立派な栗。
自分が全部食べてしまって、主人への言い訳が可笑しい。

「楊貴妃」は、
言わずと知れた唐の玄宗皇帝の傾城の寵妃
安禄山の乱で(756年)馬嵬が原で殺害された妃を皇帝が忘れかね、神仙の術を会得した方士に命じ、妃の魂魄のありかを尋ねさせる。方士は常世の国で蓬莱宮の太真殿に玉妃という人がいると知る。
玉妃に訪ねてきた由を告げると貴妃が現われる。
そこで方士は、貴妃である印しを所望し、とお二人の秘かに契られたお言葉を預る。貴妃は、去りゆく方士を一人さみしく見送る。
お言葉とは、白楽天の長恨歌で馴染みの、"天にあらば比翼の鳥、地にあらば連理の枝とならん"
序の舞が正に天女の如く美しく、も角度を変えると様々な美しい表情を見せて、魅入らせられる。

「自然居士」は、
自然居士とは乞食坊主。京の雲古寺で7日間の説法をしていると、女の子が小袖を供えて親の追善供養の読経を願う"ふじゅ文"を捧げる。この子は人商人(人買い)に買われ一時の暇をもらってきたのだった。そして人商人に連れ去られる。
ふじゅ文を読んだ居士は、説法を中止。善悪の二道ここに極まりと、女の子を助けに行く。
商人たちの乗った船が大津(ここから先は二度と帰れぬ遠国)から出んとするところに飛び乗り、小袖を返して女の子を返せと強引に説く。説得して何とか助けるが、人商人はこのままでは口惜しい。
居士に、舞えのササラを擦れの鞨鼓(かっこ)を打てのと、無理難題をふりかける。
居士がこれらに応える芸尽くしがみどころである。
その間に女の子は助けられ逃れる。
………
* "ふじゅ"という言葉で気付いた。お寺に施餓鬼のときだったか、"ふじ"料というのを納めたことがあり、ずーと何のことだろうと考えていたが、きっとこれだ。
* "鞨鼓"という言葉で気付いた。60年以上も前の頃、戦後の田舎の我が村祭りで、獅子舞とは別に、"かっこおどり"という、頭に鳥の黒い羽根をたくさんつけて烏の親分のような様で、胸に抱えた小太鼓 を叩く踊りがあり、幼心に素晴らしいと感じていた。今でもやっているかな。ずーと何のことだろうと考えていたが、きっとこれだ。


国立能楽堂では、開場30周年を記念して、特別展示をしている。
「能を彩る文化財 名品能面能装束展」と題して。
重要文化財である安土・桃山時代の能面や能装束が多数展示されている。
700年余の歴史で、厳しく洗練させ続けてきた芸能の本質が息づいている

 

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