2日目 (16.12.21)

海外旅行記 > 南英国の旅 > 2日目

南英国の旅

天気  6℃〜11℃  曇り・雨

このホテルは朝食は美味かった。まさにイングリッシュ・ブレックファスト。温かい大きめのスパイシーなソーセージ、ベーコン、スクランブルエッグ、煮豆、マッシュルームなどなど。
前日、英国航空の機内食は2回だけ。夜中にカップヌードルの匂いを感じて後ろのスチュワードたちの詰め所に行ったらたくさん用意してある。が、公表はしていない。私も夜食に食べたが、余り好まない。
到着しても夕食は付いていなかったので、前の晩は空港で買ったサンドイッチと機内で配られたワインの小瓶、それだけだったのだ。機内では私は全くアルコールは飲めない。脳貧血が起きてしまう経験済み。なのに、スチュワードは何故か2本も赤ワインを私の前においていった。それをありがたくもらっておいた。
以降、幸いなことに朝食はどこでも美味しかった。

今日からずっと同じバスで移動。運転手さん一人のみ。彼はスコットランドとの境に近いところから来たという。これから行くところは彼も初めてというところが多いらしい。

さて、8時にバスで出発して、クロイドンから南下すること小1時間、ロイヤル・タンブリッリッジ・ウェルズに到着。

ロイヤル・タンブリッジ・ウェルズ

約400年にわたり彩られた王侯貴族ゆかりの町。
1606年、体に良いとされる鉱泉をダドリー・ノース卿が発見して以来、優雅なスパリゾートとして発展。ヴィクトリア女王やケント侯爵夫人ら多くの王侯貴族に愛されたことから、1909年、エドワード7世によってロイヤルの名を授与された。
鉱泉といってもここのものは「飲む温泉」である。


中央広場から旧市街を望む。


反対側


「ロイヤル・ビクトリア」ホテルを後ろにした東屋。



パンティリーズ
列柱を並べたコロネード式歩道の続く旧街並み。現在は洒落たカフェや土産物屋になっている。
散策していると、まだ朝なのに中からにこやかに手を振ってくれた老夫婦がいた。

鉱泉が発見された場
現在も飲ませてくれるそうだが、まだ開店前。

 


「ロイヤル・ビクトリア」ホテルの前景。

次はライの町へ、1時間。

 

ライ

中世の趣を残す可愛い町、と称される。 雨の中、散策どころではない!
可愛いどころか昔は要塞港町だったのだ。
13世紀頃はフランスの支配下にあったが、王ヘンリー3世が取り戻す。
そして、海岸の防衛を担わせる代わりに特権港として免税、自治を認めた。
その後は海岸線が後退し港としての機能が果たせなくなり黒死病の流行などで発展を止めた。

こじんまりとした街、チューダー様式の木組みの家並みが残る古い町だ。


これもかつて密輸業者のたまり場だったはず。現在は素敵なカフェとなっている。


「マーメード」というレストラン兼ホテル。1156年に建てられた。
マーメード通りにあり、昔は海岸。密輸業者のたまり場だったらしい。
が、入口には著名人特に多くの俳優たちの写真が飾られている。英国内でも隠れた名所なのかもね。

 


米国作家ヘンリー・ジェイムスの住まいだった。

イプラ・タワー
要塞。1249年外国軍防衛のために建設。


海に向かって撃つ。


屋上から見た町並み。


タワーの中庭。


ランドゲート
1329年、王エドワード3世 が要塞化強化のために設置した城門の残存している門。これしかない。

 

セント・メアリー教会

中には、12世紀に造られたというステンドグラスがあり、イギリスの教会では最古の時計がある。



街のどこからでも見られる教会である。

 

次はセブンシスターズへ、西に1時間。

 

セブンシスターズ

実はこの絶景が見たくてこのツアーに参加したようなもの。
イギリスのドラマや映画でよく見る絶景の1つだ。
生憎の強風雨で、立っているのもやっとといったところ。でも、これだけの写真が撮れれば良しとしよう。
イースト・サセックスのイギリス海峡に面した白亜系チョークからなる海食崖
並ぶ七人の尼僧にたとえている。


少し突き出た桟橋から撮った。吹き飛ばされそうで、足を踏ん張り風雨を背に受けてシャッターを1回押しただけで降参。

次はさらに西に向け30分、ルイスへ。

 

ルイス

もう大分暗くなってしまった。まだ3時過ぎ程度のはず。
この町は、日本発行の観光ガイドブックにはほとんど乗っていない。が、歴史の深い町なのである。

11世紀(1066年)、ノーマン・コンクウェストで、フランスのノルマンディー地方のノルマンディー公ギヨーム2世によりイングランドが征服された。その征服王はウィリアム1世と称し英国王となる。彼が勝利の決戦(ヘイスティングの戦い)で功労のあった義弟であり臣下のウィリアム・ドゥ・ウォーレンに贈ったのが、この地ルイスなのである。
13世紀(1264年)には、王権をめぐって王ヘンリー3世と有力諸侯率いるレスター伯シモン・ド・モンフォールが争った第2次バロン戦争があり、シモン・ド・モンフォールはここルイスの戦いで勝利した。11世紀以降、王権と諸侯たちの争いは内戦として続いていて、1215年王権を制御した最初のマグナ・カルタ(大憲章)が諸侯らの手により作成される。いわば世界初のコモン・ローである。ヘンリー3世は1225年にマグナ・カルタを改正していて、これが現在も世界各分野でコモン・ローとして用いられている。
16世紀、メアリー1世によるプロテスタント信者の大量処刑が行われた地でもある。


ルイス城址
ウィリアム・ドゥ・ウォーレンにより約950年前に建てられた。現在はこの門と広大な敷地が残る。


晴れた昼ならば、このように門の上からは緑に丘陵地帯と白亜の断崖が見渡せるはず

その他、ヘンリー8世からアン・グレーヴスに贈られた家アイザック・ニュートンの祖先の邸宅と広い庭も一般公開されているそうだ。
歴史があるためか、アンティークの街としても知られていて、第一次大戦中に注射針の生産工場だったとかいう店などが、骨董屋として多くある。

 

さて、次は今夜の宿のあるサザンプトンに向かうこと1時間半。

サザンプトンの宿。
クリスマスツリーが飾られている。
その下にはプレゼントがぽつぽつと置かれ始めたのかな。

 

お休みなさい!

 

 

[前へ]← →[次へ]

[海外旅行記]

NewChibaProject