ベトナム中部の旅 5日間

2018年01月18日~22日  

ホイアンの日本橋   「ベトナム国旗」の画像検索結果ベトナム国旗  赤は血、星は統一の意

* 今年はベトナム戦争の転換点となった1968年のテト(旧正月)攻勢から50周年にあたる。
  テト休戦の隙をついて解放戦線は「南」で一斉蜂起、サイゴンなどの主要都市や米軍基地を襲撃、米国大使館も占拠されかけた。
これを機に米国で反戦運動が広がる。69年に登場したニクソン大統領は、ベトナムからの名誉ある離脱へと動く。73年には「パリ和平協定」に基づき50万人を超えた米軍は「南」から全面撤退した。                 

ベトナムへは 40年ほども前になるか行ったことがある。
ハノイとホーチミンへ。
今回は中部のフエ、ホイアン、ミーソン、そしてダナンを巡った

何回か見ていて好きな映画「インドシナ」というフランス映画がある。カトリーヌ・ドゥヌーヴ主演。ベトナムの広大なゴム・プランテーションの女主人としてインドシナ戦争、そしてその後を回想という筋立て。
私がベトナムに旅すると知った知人が是非この映画をみるように勧めてくれた。彼女はドヌーブそっくりの美人で今88歳。
ベトナム戦争そのものを激写したハリウッド映画はいくらでもあるが、私は見る気にはならない。


ベトナムの歴史をざっとおさらいしておこう。
中部ベトナムでチャンパ王国として2世紀から17世紀頃にかけて外国との交易で栄えた。首都は今のフエ付近にあった。

永年、越国として中国からの支配が濃厚に続く。

1802年からグエン朝が 起こり、1945年まで続いた。

中国(清王朝)が西欧各国の植民地戦争で倒れると、ベトナムへの支配がとって代わられ、

1847年4月、フランス帝国国王ルイ・フィリップ一世が極東進出の延長としてベトナム植民地化を図り、フランス軍艦によるダナン砲撃によるインドシナ侵略が始まる。

1940年、アジアの西欧植民地からの解放・八紘一宇の名目、日本軍のベトナムへの進駐も始まる。

1945年8月、日本降伏後直ちにベトナム革命がおこり、9月2日にベトナム民主共和国樹立

1946年~54年、ベトナム民主共和国独立をめぐって旧宗主国フランスとの間で、インドシナ戦争が戦われる。

?~1975年(宣戦布告無しのため何時からか分からない) ベトナム戦争。 4月30日、サイゴン陥落により、戦争終結。代理戦争といわれ、ソ連と米国により北と南に分かれて、悲惨壮絶な民族戦争を余儀なくされた。

1976年、フランス統治時代からベトナム革命を指導してきたホー・チ・ミン指揮のベトナム民主共和国(北ベトナム) が、ベトナム共和国(南ベトナム)を吸収し、国名もベトナム社会主義共和国とした。

日本のいわば隣国、アジア諸国には、こうした悲惨な歴史を余儀なくされ、いまだに紛争の絶えない国々が、朝鮮含め、いわば身近にあることをしっかりと意に留めたい。朝鮮半島はいまだ南北の国に分かれている。2月平昌で冬のオリンピックが開かれている、南北政権の無理やりな統一出場が世界に違和感を生じさせている。

 

 

ベトナムへは時差2時間遅れ。
ダナンへ直行便が出ている。およそ5~6時間のフライト。

この時期は中部は雨期でした。2月から乾期

ホイアンに連泊。

 

第1日目   ベトナム・ダナンへ
         
          ダナン見学
          ホイアンへ

第2日目   フエ観光

第3日目   ミーソン遺跡見学
        トゥボン川クルーズ
        タンハー陶器村見学

第4日目   ホイアン観光
        帰国の途に、ダナン空港へ

第5日目   帰国